2022年1月31日月曜日

山本勉さんの愛猫ルリちゃん4

 

 唐寅がインスピレーションを受けたにちがいない陸游の「畜猫を嘲あざける」(『剣南詩稿』巻38)もついでに……。もっともこの詩は、かつて俳句調戯訳で「追悼 エオンちゃん(山本勉さんの愛猫)続」にアップしましたが、今回は和歌調にバージョンアップしてみました。バージョンダウンかな()

 ネズミが盆ひっくり返して大暴れ でも高いびきかいて爆睡

  腹いっぱい食べるご馳走 夢に見て ネズミの傍若無人はスルー 

  身上はパッとセミ捕る敏捷性 でも好きなのは樹上のくつろぎ

  ク山とは一体どこにあるのやら そこには名猫たくさんいるのに……

   *ク山の「ク」は「月+句」という、僕のワードでは出てこない変な漢字です。

2022年1月30日日曜日

山本勉さんの愛猫ルリちゃん3

 

唐寅「猫を責む」

  書斎のともし火 掻き立てて アワビのさかずき脇に置き

  やさしい言葉でジュンジュンと 我が愛猫に意見する

  「たとえばネズミがあんなにも 勝手に騒いでいるときに

  座って魚のごちそうを パクつくオマエは何様だ?

  目を合わさずに皿の餌えさ ヨダレ垂らして盗み見て

  腰をかがめて布団へと…… カマクラ作って寝てばかり

  縁へりから大きなシッポ出し 蛇のごとくに動かして……

  オマエの好きなマタタビを これまでみたいにゃやらないぞ!!

2022年1月29日土曜日

和塾「河野元昭 饒舌館長 おまとめ版→」

 


 畏友・田中康嗣さんが主宰する特定非営利活動法人が「和塾」です。ホームページを開くと、その活動方針について次のように書かれています。このHPに、マイブログ「饒舌館長」の「おまとめ版」がアップされることになりました。連載形式のため読みにくいという声にお応えして、1トピックをまとめてみたんです。第1弾は東京黎明アートルームで開催された「浦上玉堂展」ーーぜひアクセスのほどを、よろしくお願い申し上げます。

 「和塾」は、非営利団体として、関連する多様な支援活動を実施し、我が国の芸術・文化の活性化を通して社会に貢献します。その活動は、この世界に誇るべき「財産」を、真にその価値に見合った存在とすることを目標とし、もって公益に寄与しようと考るものであります。 

https://www.wajuku.jp/serialize/j_211209_饒舌館長_河野元昭/

山本勉さんの愛猫ルリちゃん2

以前、布団からシッポを出してお昼寝をしている、ほほえましいルリちゃんがアップされました。手足だけを出して寝ている写真もありました。それを見て僕は、明代の有名な院派の文人系画家・唐寅の愛猫を思い出しました。かつて中国古典文学叢書『唐寅集』を読んでいたときこの七言律詩に逢着し、よく記憶に残っていたからです。

唐寅の愛猫は、シッポを出して布団にもぐり込むことが大好きでした。もっとも、調子がいいというか、グータラというか、お説教を食らってはいるんですが、唐寅先生の慈愛の情が伝わってくるとてもいい詩です。南宋のネコ詩人・陸游の「畜猫を嘲る」からインスピレーションを受けているようにも思いますが、またまたマイ戯訳で……。



 

2022年1月28日金曜日

山本勉さんの愛猫ルリちゃん1

 

 最近『完本 佛像のひみつ』を著わして、洛陽の紙価を高めた山本勉さんの愛を、かつて一身に受けていたネコはエオンちゃんでした。エオンちゃんが逝去されたとき、梅尭臣や陸游や我が祇園南海など、愛猫をたたえた漢詩、あるいはその死を悼んだ漢詩の戯訳を捧げたことを思い出します。

そのエオンちゃん亡きあと、山本勉さんの心をとりこにしているのはルリちゃんです。フェイスブックにしばしば登場しますから、可愛いことはもちろん、とても利発そうなルリちゃんの写真に、「超いいね!」をクリックした方も、たくさんいらっしゃることでしょう。

2022年1月27日木曜日

電気ブラン7

 

朝日新聞の記事はつぎのように〆られています。

2018年、運営会社が事業撤退を発表し、その後、市が第三セクターを立ち上げて運営に乗り出した。牛久産ブドウを使ったワイン製造も再開し、今年初夏の出荷を見込む。木本さん(牛久市文化芸術課)によると、復活するワインの味は、軽やかで渋みが利いたものになりそうだ。

 売り出されたらぜひ試飲したいと思います。神谷傳兵衛さんの苦労をしのび、牛久ワイン復活をことほぎながら――今回だけは、「日本のワインは赤玉ポートワインと蜂葡萄酒に尽きる‼ ほかのは飲むに値せず」という持論にこだわることなく……()

 

2022年1月26日水曜日

電気ブラン6

 

 続いて年明け、朝日新聞の「いいね!探訪記」シリーズに「牛久シャトー」が取り上げられました。この本格的ワイン醸造施設も、「電気ブラン」を発明した神谷傳兵衛が開いたものでした。明治36年(1903)のことだそうです。

浅草に神谷バーを開き、電気ブランで成功した傳兵衛さんのつぎの夢が、葡萄栽培、醸造、瓶詰めまでを国内で完結する本格ワイナリーでした。牛久に120ヘクタールの原野を購入し、娘のお婿さんをフランスのボルドーに留学させたそうです。

しかし残念なことに、牛久傳兵衛ワインは電気ブランのようにうまくいかなかったようです。戦後、ワイン造りは規模を縮小せざるを得なくなりました。傳兵衛さんの試みが早すぎたのでしょうか。そのうちフランスから本場のワインがどんどん入ってくるようになりましたから、高度成長時代の日本では、チョットくらい高くっても、やはりお仏蘭西の方がよかったのかもしれません。

2022年1月25日火曜日

電気ブラン5

 

朝日新聞の記事には、萩原朔太郎が神谷バーで詠んだ心に沁みる一首が引かれています。

一人にて酒を飲み居れる憐れなるとなりの男なに思ふらん

この記事をまとめたのは、去年「まちの記憶 蒲田」で紹介した小泉信一編集委員で、となりの男とは朔太郎自身の姿だろうと書いています。まさに正鵠を射る読みです!! 

だからこそ、若山牧水の「白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり」と相前後して詠まれていることが、とても興味深く感じられるんです。「一人にて……」は1913年の朔太郎歌集「ソライロノハナ」に、「白玉の……」は1911年の牧水歌集「路上」に収められているんですから……。

2022年1月24日月曜日

電気ブラン4

 


箱の説明には、旧き良き文明開化の時代に思いをはせながら、ストレートで楽しんでいただきたいとあります。しかし40度のストレートはチョットきつく、水割りなどという軟弱な飲み方になってしまったのは、ひとえに後期高齢のせいです。神谷信彌さん、どうぞお許しください!!() 

今は30度のもありますが、電気ブランが明治時代に誕生したころは45度あったそうで、文明が発達すると人間は酒に弱くなるという持説(!?)が、いよいよ証明されることになりました。神谷バーでは、午後9時近くになると、閉店を知らせるショパンの「別れの曲」が流されるそうです。これは信彌さんが愛した曲だったとのこと、僕も電気ブランをやりながらぜひ聴いてみたい――河合さん、コロナ第6波が終ったら、今度は神谷バーで!!

2022年1月23日日曜日

電気ブラン3

 

先日も登場してもらった友人の和田泰昌さんから求められ、浅草ロータリー倶楽部で「日本絵画の真贋問題」というトークをやったことがあります。そのとき和田さんから紹介されたのが、英国紳士と見紛う神谷信彌さんでした。

去年の暮、河合正朝さんと、僕もずいぶんお世話になった講談社の斎藤裕子さんの3人で、浅草の「百八つ」という河合さんお馴染みの洒落た焼鳥屋さんでしばらくぶりに飲みました。そのとき二人を待たせ、僕は一人で神谷バーへ急ぎ、「電気ブラン」の小瓶を求めてきたんです。

帰宅して一杯やれば、昔の「電気ブラン」そのまま――いよいよもって懐かしさがこみ上げてきました。

2022年1月22日土曜日

電気ブラン2

 

「神谷の電気ブランデー」は、昭和初期の頃より「神谷バー」のお客様を中心に親しみを込めて「電気ブラン」と呼ばれるようになりました。「電気ブラン」はブランデーをベースにジン、ワイン、キュラソー、ハーブなどがブレンドされていますが、その配合だけは秘伝となっています。

去年の暮、朝日新聞の「はじまりを歩く」シリーズで、大きく見開き2面を使って神谷バーと電気ブランが取り上げられ、懐かしさのあまりスクラップブックに収めたことでした。かつて「電気ブラン」を飲んだことのほかに、記事に載っていた4代目の神谷信彌[のぶや]さんにお会いしたことがあったからです。

2022年1月21日金曜日

電気ブラン1

 「初物酒」に続いて、正月にやった懐かしい「電気ブラン」のこともアップさせてもらいましょう。言うまでもなく、浅草は神谷バーの代名詞にもなっているオリジナル・リキュールで、その箱には次のように書かれています。

東京・浅草「神谷バー」の創業者、初代神谷傳兵衛の洋酒造りにかける情熱により明治15年(1882年)「電気ブランデー」は誕生しました。電気が珍しい明治の頃、目新しいものには「電気○○」と名付けることが流行し、この新しいお酒はハイカラなものの代表として、人々の大きな関心を集めました。また、心地よいビリリとした味わいも「電気」のイメージにピッタリでした。


2022年1月20日木曜日

根津美術館「鈴木其一・夏秋渓流図屛風」15


  承句を読み下せば「遥かに看る 瀑布の前川に挂かるを」となりますが、僕は「滝の前に川が流れていて、その上に滝がかかっている」と解釈したいんです。この「かかる」は、「中天に月がかかっている」という風に使う場合の「かかる」です。もっとも、『中国詩人撰集』の武部利男先生は、「この峰の上から、向こうの川に滝のぶらさがっているのが、はるかに見える」と解釈していますが……。しかし僕の解釈にしたがえば、廬山の滝のイメージと結びついている「保津川図屏風」の渓流は、李白が詠んだ「前川」ということになるんです(!?

 それはともかく、去年は泉岳寺の「義士祭」で〆ましたが、先日の朝日歌壇に愉快なというか、なるほどというか、すばらしい一首が永田和宏さんにより選ばれていました。

  泉岳寺手向けられたる香煙に義士の人気の濃淡がある (東京都)野上卓

 

2022年1月19日水曜日

根津美術館「鈴木其一・夏秋渓流図屛風」14


 とくに「保津川図屏風」では廬山の滝ですね。右隻の右奥の方に滝が描かれ、その滝水が迫央構図にしたがって流れ出ています。滝はチョット姿を見せるだけで、瀑布図というより渓流図になっていますが、その滝こそ重要なポイントだと思います。そこで思い出されるのは、李白の有名な七言絶句「廬山の瀑布を望む」ですね。またまた戯訳で……。

  太陽照らす香炉峰 たなびく霞は紫だ

  はるか向こうに川が見え 滝が一筋かかってる

  ほとばしる水 垂直に 落下すること1000メーター

  天のテッペンから落ちる 天の川かと間違えた

2022年1月18日火曜日

根津美術館「鈴木其一・夏秋渓流図屛風」13

 


 去年の暮、根津美術館・野口其一展印象記をアップしました。そのとき鈴木其一の「夏秋渓流図屏風」と円山応挙の「保津川図屏風」に共通する構図、つまり一双屏風の両奥から中央に向かって渓流が迫ってくるような構図を「迫央構図」と呼びたいと提案しました。ヤジが飛んでくるかと思ったら、意外に「いいね!」が多かったので、うれしくなってしまいました。野口さんも「これから使わせてもらいましょう」と言ってくれました!!

じつは「保津川図屏風」について、もう一つ独断と偏見があるんです。応挙は円満院時代の「大瀑布図」に始まって、いくつか滝の絵を描きましたが、そこには有名な中国の廬山の滝や、龍門の滝のイメージが寄り添っていたように思います。

2022年1月17日月曜日

2022初物酒12

 

地ビールならぬ地ウイスキーも各地で頑張っていることを知り、いくつか飲んだことはありますが、「戸河内」は初体験です。僕がやった「戸河内」は8年物でしたが、クセのないブレンディットウイスキーで、スッキリとしているのにバニラのようなかすかな甘みも感じられ、これまた「イクサレント!!」でした。

それとともに深く心を動かされたのは、モスグリーンのしゃれたラベルに、パスカルの『パンセ』から一条を引用するというウィットです。第2章「神なき人間の惨めさ」の71「過量、または過少の酒」という条だそうで、パスカル先生曰く……

「酒を与えないと人は真理を見出せない 与えすぎても同様」

 

2022年1月16日日曜日

2022初物酒11

 


ウィックはかつてニシン漁で栄えた町とのことですが、もちろん訪ねたことはありません。同じくニシン漁で栄えた小樽なら行ったことがありますので、その美しすぎる雪の夜を思い出しながら、「オールド プルトニー」を堪能したことでした。

初物酒の3つ目は地ウイスキーの「戸河内とごうち」です。戸河内とは、残念なことに平成の町村大合併によって消滅してしまった広島県の小さな町の地名、現在は安芸太田町というそうです。鉄道計画が頓挫したため使われなくなった大きなトンネルがあり、そのなかでモルトを熟成させるので、その場所がブランド名になったようです。造っているのは広島県廿日市市にあるサクラブルワリーアンドディスティラリーという会社です。

2022年1月15日土曜日

2022初物酒10

そのアルデヒド系(フローラル)のなかに、「ラベンダー」や「ハーブ」と一緒に「アマニ油」や「ユーカリ油」があげられ、ワイン様(ワイニィ)には「アーモンドオイル」があります。オイリーというのは、これらを指すものなのでしょうか。

ちなみに「アマニ油」の隣には「ダンボール」があげられ、そのほか「漁船のロープ」「磨き粉」「ゴム臭」なんていうものもあります。しかしそんな臭いのウイスキーを好む人が、この世にいるものでしょうか?

いや、いるんでしょうね。僕が大好きな肴にクサヤがあるんですから!! しかしキョウビ、この絶品にクレームをつけるお客さんがいるらしく、出してくれる飲み屋がメッキリ減ってしまいました。

2022年1月14日金曜日

2022初物酒9

 

地図を見るとウィックという町は、スコッチのメッカともいうべきスペイサイドのさらにずっと北、オークニー諸島に近いところです。いま東京も寒いですが、ウィックはこんなもんじゃ~ないんでしょうね――あたり前田のクラッカー!!

僕は華やかな花の香りを感じるだけでしたが、土屋守さんは香りも、味も、フィニッシュもみんな「オイリー」だと書いています。オイリーというのは、ときどきウイスキーの形容に出てくる表現ですが、ウイスキーが油っぽいというのはどうもよく分りません。

ところが、スコッチの香りを円グラフみたいにした「ノージングサークル」というチャートが、『改訂版 モルトウィスキー大全』の巻末に載っています。


2022年1月13日木曜日

2022初物酒8

 

ロバート・スチーブンソンはエジンバラ大学の工学部に入学したものの、もともと体が弱かったため法律学へ転向しました。そして卒業後は病気をやしなうため、温かい国を旅行したり、お父さんと一緒に船に乗り、大西洋の島々をめぐったりしたそうです。やがて小説家として成功を収めることになるのですが、お父さんの影響がとても大きかったことをはじめて知りました。

ヤジ「そもそも『宝島』なんて、銘スコッチ『オールド プルトニー』とまったく関係のない話じゃないか!!

しかし実はあるんです。スチーブンソンは執筆に疲れると、お父さんの住む『オールド プルトニー』の故郷ウィックにやってきて、休暇を楽しみつつ構想を練ったそうですから……。

2022年1月12日水曜日

2022初物酒7

 もっとも「そん度」は使用頻度が多いためか、もっぱら「忖度」が使われるようですが……。それにしても、「改ざん」「ねつ造」「そん度」「まん延」「ひっ迫」「ら致」「だ捕」と、交ぜ書きになる名詞には、どうしてマイナスイメージが付きまとっているのかな? これらの問題を真剣に考えかつ悩むと、「憂うつ」になるせいかな()

この交ぜ書きが地名になると、ひどく恥ずかしくなり、やめてくれ~といった感じになります。國華社のある「築地市場」の次は「勝どき」――美味しい飲み屋さんがいっぱいあるのに、もう行く気にもなりません。

ヤジ「白々しいウソを言うな!!

 

2022年1月11日火曜日

2022初物酒6

ロバート・ルイ・スチブンソンは1850年に、イギリスのスコットランドの古い都であるエジンバラで生まれました。おとうさんは建築技師で、灯台の建築の専門家でした。おとうさんはわが子のロバートをも灯台建築技師にしようと考えていました。……ロバートは幼いときから、おとうさんの話をきいてそだち、夢の多い少年になりました。

実はこの文章がこれまた懐かしい総ルビなんです。ここでは省かせていただきましたが、総ルビというのは、復活したいすぐれた日本文化だと思います。中国にも総ピンインはありますが、アルファベットなんですから……。総ルビにすれば、「改ざん」「ねつ造」「そん度」「まん延」「ひっ迫」「ら致」「だ捕」みたいな表記を、何と申しましょうか――これも若い人には通じないでしょうね( ´艸`)――居心地の悪い書き方をやらないですみます。

 

2022年1月10日月曜日

2022初物酒5

 

プルトニーというのは、町づくりを推し進めた国会議員のサー・ウィリアム・プルトニーに由来するそうです。さらに町を改良整備したのが、『宝島』や『ジキル博士とハイド』を著わしたロバート・スチーブンソンのお父さんだったと聞けば、スコッチに興味のない人も、ぐっと親しみを感じるようになるのではないでしょうか。

『宝島』『ジキル博士とハイド』といえば、僕にとっては講談社版『世界名作全集』ですね。これまた「日本の古本屋」で検索すると、あの懐かしい装丁の写真とともに出てくるじゃ~ありませんか。『宝島』を即ゲットして読み始めると、小学生のモッチャンに戻った後期高齢者は、もう止められません() 巻末の解説を読むと、プルトニータウンを改良整備したというお父さんについて、次のように書かれていました。

2022年1月9日日曜日

2022初物酒4

 

初物酒の2つ目は、スコッチウイスキー「オールド プルトニー」です。話には聞いたことがありますが、やったのは初めてです。ボトルネックの付け根が、瓢箪みたいにプクッとふくらんでいるのがおもしろく、蓋を開けると華やかな花の香りが鼻孔をくすぐります。さっそく土屋守さんの名著『改訂版 モルトウィスキー大全』を開くと、「複雑なボディに潮の香り漂う、『北の強者』」として208ページに出ています。

大ブリテン島の北端、ウィックという町のプルトニータウンにある蒸留所で、1826年創業とありますから、我らが文政9年、化政文化華やかなりし頃、最初の一滴がポットスチルからしたたり落ちたことになります。


2022年1月8日土曜日

2022初物酒3

 

世の中には偉い人というか、信じられない人がいるものだと感心した、鮮やかな記憶もあって、初物酒のトップに「谷川岳」を選んだというわけです()

きっとネットに出ているはずだと思って検索をかけると、案の定ヒットしました。みなかみ町の森邦広さんという方で、1000回達成のあと目標を「谷川岳3000回」にバージョンアップし、20151031日、奥さんの誕生日に、2826回目を達成したという記事でした。

そのとき何と御年80!! 3000回達成を果たされたかどうかは確認できませんでしたが、高尾山登頂2回という記録しかない僕からみると、天文学的数字のように思われました。『日本百名山』の深田久弥さんでも、2826座は登っていないでしょう。


2022年1月7日金曜日

2022初物酒2


  「谷川岳」は日本酒度+3の程よい辛口、おせち料理との相性が抜群でした。ワインやウイスキーだと、ここであふれるような形容詞が出てくるところですが、日本酒だと「フルーティで旨かった」で終わりです。もっともキョウビ、日本酒ソムリエも洋酒に負けじといろいろな修飾語を使いますが、まだ一般化していないようですね。

この「谷川岳」を選んだ理由は、もう一つあります。何十年も前のことですが、谷川岳に登ったとき、「谷川岳1000回」というタスキをかけ、ものすごいスピードで追い抜いていくおじさんがいました。あとで旅館の仲居さんに聞くと、そのあたりでは有名なおじさんで、すでに990回を越え、近々目標の1000回に達するはずだというのです。

2022年1月6日木曜日

2022初物酒1

 

 めでたき寅年迎春を口実に、このお正月もずいぶんお酒を楽しみ、トラになったことでした。日本酒、ビール、ウイスキー、焼酎から「電気ブラン」までやりましたが、みんなチョビチョビで、トラというよりネコかな() そのうち、はじめて体験したお酒――僕がいうところの初物酒を3つ紹介することにしましょう。まず日本酒からは、群馬県川場村・永井酒造の純米大吟醸「谷川岳」――ラベルには次のように書かれています。

群馬県最北部利根川源流に位置する日本百名山の谷川岳(標高1977m)。四季折々の表情を持ち、蔵周辺地域のシンボルの山として愛されております。このお酒は、山に降る豊富な雪や雨が、自然の大地でゆっくりと濾過されたやわらかでほのかに甘い天然水の源水仕込みで醸し上げました。


2022年1月5日水曜日

玉堂の酒詩5

 

渓行覓句図の賛

  玉堂琴士は魂を 琴に盗られた老人だ

  日々すきま風 入[]る部屋で 独り酔っては吟じてる

  たとえ寿命を数年間 天が延ばしてくれたとて

  琴への熱きこの思い 尽きることなどないだろう

 *これは『玉堂琴士集』じゃ~なく、東京黎明アートルーム「浦上玉堂」展に出ていた「渓行覓句図」双幅の賛詩です。

2022年1月4日火曜日

玉堂の酒詩4

閑中自詠

  玉堂琴士 一銭も 持っていませんお金など

  ただ酒樽と七弦琴 絵をかく楽しみあるだけだ

  独り黙って琴を弾く 誰も知らないその境地

  伏羲[ふっき]と女媧[じょか]と神農の 心を一つにした境地


 

2022年1月3日月曜日

玉堂の酒詩3

 

琴歌

  若い時ほど溌剌さ なくした琴と歌だけど

  詩だけは酒飲みゃ雄渾な みごとな一首がまだ詠める

  やる気満々――そんな気は 老いて衰えちゃったけど

  この世は混沌 定まらず 些細なことなどどうでもいい


2022年1月2日日曜日

玉堂の酒詩2

酒を把りて琴を弾く

  琴 弾きながら酒 酌めば 酒はいよいよ香り立つ

  酒 酌みながら琴を弾きゃ 琴の音いよいよ澄み渡る

  一杯の酒+一張の 琴の相性 抜群だ

  こんな時には俗世[ぞくせい]の 雑事はみんな忘れちゃう

 

2022年1月1日土曜日

玉堂の酒詩1

 明けましておめでとうございます。今年も「饒舌館長」をよろしくお願い申し上げます。

 去年は東京黎明アートルームの「浦上玉堂 画法は知らずただ天地あめつちの声を聴き筆を揮う」展へのオマージュをもって〆となりました。

これに続けてというか、お正月にちなんでというか、『玉堂琴士集』に収められる素晴らしい「酒詩」の戯訳から、令和4年壬寅の「饒舌館長」を始めることにしましょう。「酒詩」というのはお酒を詠み込んだ漢詩を、僕が勝手に呼んだものです。

『諸橋大漢和辞典』を引くと、「酒市」「酒肆」「酒資」などの語はありますが、「酒詩」はないので、僕の造語ということになりそうです。もっとも、「詩酒」という言葉はありますが、これは詩を詠み酒を飲むこと、あるいは詩と酒のことで、残念ながら詩に詠まれた銘酒という意味じゃ~ありません() 去年すでに「山行」を紹介しましたが、ほかにも玉堂の傑作酒詩はたくさんあります。 

渡辺浩『日本思想史と現在』12

  そのとき『君たちはどう生きるか』の対抗馬 (!?) として挙げたのは、色川武大の『うらおもて人生録』(新潮文庫)でした。京都美術工芸大学にいたとき、『京都新聞』から求められて、就職試験に臨む受験生にエールを送るべくエッセーを寄稿したのですが、本書から「九勝六敗を狙え」を引用し...