2017年10月19日木曜日

美郷カレッジ「美は育み癒し健やかにする」1


美郷カレッジ「美は育み癒し健やかにする」(1014日)

 美郷町は秋田・大曲に近い小さな町ですが、昔からIQが高い町として知られてきたと聞いたことがあります。我らが高階秀爾さんの出身地であるこの美郷町では、「秋田の元気を三郷から」と題して「美郷カレッジ」が開かれてきました。ご多聞にもれず、美郷町も少子高齢化が進んでいるとのことですが、その中にあって、このようなプロジェクトを積極的に推進するチャレンジ精神は、何とすばらしいことでしょうか。

その目的は、「美郷町民および美郷町のファンが、創造的で充実した人生を送り、地域づくりや地域文化の創造に主体的に参加するための学習機会を提供し、町民憲章に定める『自然を愛し、心豊かに健やかに、未来にひらく美しいまちをともにつくる』ことにある」と書かれています。

このような高邁なる趣旨に、秋田県出身とはいえ、この僕が役に立つものかどうか、ちょっと自信はありませんでしたが、高階さんからオファーがかかったのですから、いやとは言えません。しかも、親しくさせていただいている大原美術館名誉館長・大原謙一郎さんとの対談でやってほしいとのこと、これなら気が楽だと快諾してしまいました。

2017年10月18日水曜日

東京国立博物館「運慶展」8




不動明王はヒンドゥ教の神が仏教に取り入れられ、如来の使者となったものです。つまりインドに起こり、中国で展開した仏様ですが、きわめて盛んに造像作画が行なわれ、不動信仰が高まり広まったのは我が国においてでした。

その理由は、不動明王がもともと子供だったことにあるというのが私見です。善無畏訳『大日経』には、「不動如来使者は慧刀・羂索を持ち、長髪左肩に垂れ、一目にしてあきらかに見、威怒身で猛炎あり、磐石上に安住している。額に水波の相があり充満した童子形である」とあります。実際には壮年の形に作られますが、童子形であったという記憶は、8人の子供という珍しい眷属のなかに生きているのです。

エドワード・モースをはじめ、近世以降わが国に来た西洋人は、子供が大切に育てられていることに驚きの声をあげています。その根底には、子供を純粋無垢なるものと考える日本人の伝統的感覚があったのです。

静嘉堂文庫美術館所蔵の浄瑠璃寺旧蔵十二神将立像7体も出ています。しかも、東京国立博物館所蔵の5体と一緒に、つまり12体そろった完全な形で……。最近、ふたたび注目されているこの優品については、そのうち稿を改めて、いや、ブログを改めて……。 

2017年10月17日火曜日

東京国立博物館「運慶展」7


「僕の一点」がちょっと変化球のようになってしまったので、旧ブログ「おしゃべり館長2014」にアップした、<サントリー美術館「高野山の名宝 高野山開創1200年記念」>を再録して、お許しいただくことにしましょう。この運慶展にも出陳されている「八大童子立像」を、「僕の一点」に取り上げているからです。

唐で密教を学んで帰国した弘法大師空海は、弘仁7年(816)勅許を得て高野山を開きました。やがて高野山は仏教美術で満たされることになりますが、これは曼荼羅に代表されるごとく、密教においてもイメージが重視されたからでしょう。これを記念して60件もの名品が六本木に集いました。

「僕の一点」は「不動明王坐像」+「八大童子像」です。前者は藤原時代の作ですが、これに合わせて運慶が眷属である後者を造ったのではないでしょうか。いずれにせよ、両者が相まって不動世界を形成しているのです。

2017年10月16日月曜日

東京国立博物館「運慶展」6



僕もそうだと思いますが、そもそも春日明神をはじめ神のつかいとする思想の原点は、かの国宝「袈裟襷文銅鐸」(神戸市立博物館蔵)などに陽刻された鹿、多くの弥生土器に描かれた鹿に求められるように思います。

弥生人が鹿を好んで造形化した理由として、よく引用されるのは、『播磨国風土記』讃容郡の一節です。それは、生ける鹿を捕り臥せ、その腹を割き、その血に種モミを蒔いたところ、一夜にして苗が生えたので、それを取って植えたという、種籾賦活伝説です。

このように鹿と弥生文化の象徴である稲作とが結びついた背景として、牡鹿の角が繰り返す袋角→落角という周期性と、稲作の周期性が呼応するからだという興味深い見解も発表されています。

奈良県立橿原考古学研究所の橋本裕行さんは、鹿が単なる稲作の神や地霊などでなく、それらを包括し、生と死、創造と復活とを司る、より高次な観念によって神格化されたものだと指摘しています。明恵上人がこのようなことまで考えていたかどうかは分かりませんが、『播磨国風土記』などを知っていたことは疑いないでしょう。

2017年10月15日日曜日

東京国立博物館「運慶展」5


頭頂に角を挿した痕跡が残る牡鹿は、耳を立てて口をつぐみ、一点を凝視するかのようだ。一方、腹部に乳房が表わされる牝鹿は、前足を伸ばして坐り、口を開いて鳴くような姿で表現され、巧妙に対比が意識されている。いずれも茶褐色に彩色され、目に水晶を嵌める玉眼の効果も相まって、生きた鹿のつがいがそこにいるかのようである。

通常の宗教彫刻では選ばれることの少ないモチーフですが、西木さんは明恵上人との関係に注目しています。春日信仰で知られる明恵は、東大寺の門前において、鹿を通じ春日明神から宣託を受けたことがありました。

また、目の前で30頭におよぶ鹿が膝を屈するのを見て、自分を引き止めるためだと思い、念願であったインドへの渡航を断念したそうです。一般的な仏教彫刻とは異なり、経典や伝統といった規定が存在しない動物彫刻の制作背景に、明恵独自の信仰があったにちがいないと、西木さんは考えています。

2017年10月14日土曜日

東京国立博物館「運慶展」4



「僕の一点」は高山寺所蔵の「神鹿」です。もっとも運慶の作品ではなく、運慶の長男に生まれ、明恵上人ゆかりの高山寺とも関係の深かった湛慶の作と考えられています。

鎌倉時代は美術に写実主義を志向した時代であって、その社会的背景として、この時代が実力でのし上がってきた現実主義的な武士の時代であったことが挙げられます。これを僕は「鎌倉リアリズム」と呼んでいます。

リアリズムといっても、かのギュスターブ・クールベが唱えたリアリズムとは別物ですが、鎌倉美術が現実主義的であったことは否定できません。そのような意味で、鎌倉リアリズムと名づけることは間違いじゃないと思います。

もちろん、運慶こそ鎌倉リアリズムの象徴的存在ですが、湛慶の「神鹿」は、それを分かりやすい形で教えてくれる傑作です。それがいかに写実的か、実際の作品を見ていただければ一目瞭然です。もっとも僕が説明すれば、鎌倉リアリズム論に立ってながめるから、そうなっちゃうんだと言われそうですから、ハードカバーのすぐれたカタログから、東京国立博物館・西木政統さんの解説を引用することにしましょう。

 

2017年10月13日金曜日

東京国立博物館「運慶展」3




運慶は生涯にたくさんの仏像を造ったと推定されますが、運慶作もしくはその可能性が高い現存の仏像は31体であるというのが、研究者の間の定説であるといってよいでしょう。日本各地で深い信仰を集めながら、守られてきたこれら運慶仏ののうち、この特別展には実に22体が馳せ参じてくれました。

チラシには、「天才仏師の傑作、結集」と大きく書かれています。空前にして絶後となるにちがいない運慶展です!! これを見ずして、日本彫刻史を語ることは絶対できなくなるでしょう。

これまたチラシには、「展示される約70体の作品のほとんどが国宝および重要文化財という特別な空間で、普段お寺では見られない角度からも仏像をたっぷりとご堪能いただけます。史上最大の運慶展、どうぞお見逃しなく」とありますが、嘘じゃありません。
 

参加するタレントさんもハンパじゃありません。いまや展覧会に必須の音声ガイドは小野大輔、ファンクラブサイト「運慶学園」には、みうらじゅん、和田彩花、パックンことパトリック・ハーラン、エグスプロージョン、篠原ともえの5人も名を連ねているんです!!
 

謹啓 朝日新聞社殿
貴運慶展は社運を賭け被遊遂行候様の観あり、勿論衷心ゟ其の成功大捷を祈念致居り候。乍去、御慈愛憐憫の御心ニて、是非々々吾が國華も不被遊忘却様、平身低頭恐懼して誠意懇請する次第ニ御座候。御心は常々腑に落る処ニ御座候得共、今斯に敢て千嘱萬託の情を開陳する非礼、宜敷御寛恕の程奉願候。恐惶謹言(!?)
 



美郷カレッジ「美は育み癒し健やかにする」1

美郷カレッジ「美は育み癒し健やかにする」( 10 月 14 日)  美郷町は秋田・大曲に近い小さな町ですが、昔から IQ が高い町として知られてきたと聞いたことがあります。我らが高階秀爾さんの出身地であるこの美郷町では、「秋田の元気を三郷から」と題して「美郷カレ...