2017年6月26日月曜日

静嘉堂「曜変天目」2


黒釉の表面に多くの円い斑文が浮かび、その周囲がきらめいて星紋となり、華麗な虹彩を放つ曜変天目は、この静嘉堂文庫美術館所蔵を含めて3碗のみ、古くから稀観の神品としてたたえられ、日本だけに伝えられてきました。とくに僕が魅了されるのは、もちろん虹のごとき光彩です。古い文献に「虹彩」と書かれることがあるのもそれゆえでしょう。

先の「茶の湯の美、煎茶の美」展のとき、東洋陶磁美術館・小林仁さんに「唐物天目についての新知見」と題して、講演をしていただきました。そのスライドのなかに、まさしく虹のように写った数枚があり、それまで考えてきたことが実証されたようで、とてもうれしく感じたものでした。

2009年、西湖で有名な杭州の工事現場から、割れた状態で曜変天目が発見されましたが、原産地の中国でもこの一点だけなのです。なぜなのでしょうか。次のように僕は考えています。

2017年6月25日日曜日

静嘉堂「曜変天目」1


静嘉堂文庫美術館「曜変天目」

 現在、静嘉堂文庫美術館で開催している「かおりを飾る 珠玉の香合・香炉展」については、すでに7回に分けてアップし、「僕の一点」も紹介いたしました。その時ちょっと書きましたように、いま人気沸騰の我らが「曜変天目」――固有名詞で呼べば「稲葉天目」も香合や香炉と一緒に陳列されています。

皆さんからのリクエストがたくさん寄せられたからであって、決して客寄せパンダという意味じゃありません。若干その気味もあるかな( ´艸`)。

 僕の関心は、世界に3碗しかない曜変天目のすべてが、なぜ日本にあるのか?という点に集中しています。曜変天目の「日本限定現象」です。陶磁器としての歴史や組成、あるいはお茶文化における位置については、それぞれの専門家にお任せするしか、ほかに途はありません。絵画史専攻の僕が、口を挟む余地などまったく残されていないのです。

しかし「日本限定現象」については、ちょっとした私見があったので、それを旧「K11111のブログ」にご披露したわけなのですが、その後、新しい情報がいくつか寄せられました。それをご紹介しようというのが、今回の目的です。

しかしその前に、私見なるものを旧ブログから再録することをお許しいただきたいと存じます。「饒舌館長」から、新たにマイブログのファン?になられた方も少なくないでしょうし、これのあとに新情報をお読みいただくと、さらにおもしろいように感じられるからです。もっとも、すでに旧ブログを読んでご記憶にある方は、ここをすっ飛ばしていただいて結構です。

2017年6月24日土曜日

静嘉堂文庫美術館「珠玉の香合・香炉展」7


 酒井家は幕藩体制のなかにあって、政治的権力をふるっただけじゃありませんでした。代々酒井家には、文雅を愛するDNAが流れていました。例えば、抱一のお祖父さんにあたる忠恭も、お父さんの忠仰も、学問や芸術を愛して止みませんでした。その典型こそ宗雅で、諸芸にすぐれた才能を発揮しましたが、とくに茶道では、尾花庵宗雅と号する茶人として名をなしました。

かつて「抱一の伝記」と題する拙文を書いた時、宗雅のことも調べてみました。その際お世話になったのは、粟田添星の『茶人 酒井宗雅』という本と、根津美術館編集の『姫路酒井家の兄弟 宗雅と抱一』という立派なカタログでした。

お香をやらない僕がこの香合を使うとすれば、上等な天然塩を入れて食卓に置いておきたいなぁ!! 蓋を取った時、緑釉とお塩の白さがハッとするようなコントラストを演出してくれることでしょう。もっともすぐに湿気ちゃうかな? 

 香炉の「僕の一点」は、「俵に猫香炉」です。18世紀から19世紀にかけて作られた備前焼で、猫の目から煙が出るように穴を開けているところがミソです。これが背中や頭だったらおもしろくありません。猫ファンの僕が選ぶのですから、そのネコが実にうまく作られていることは当然ですが、先日アップした虎吉社長に何となく似ているところが、「僕の一点」になったポイントかも!? 

2017年6月23日金曜日

静嘉堂文庫美術館「珠玉の香合・香炉展」6


 香合からの「僕の一点」は、「交趾四方魚文香合」です。交趾[こうち]というのは、現在のベトナム北部の古名ですが、また中国でベトナム人居住地域を漠然と交趾と呼んだそうです。しかし交趾焼きという焼物は、ベトナムで作られたものではなく、交趾と日本を往来する貿易船で運ばれて来た焼物という意味です。実際は中国の南部、とくに福建の漳州窯で多く焼かれたと推定されています。

この香合はちょっと大振りで、全体にかかる緑釉が深みをたたえ、実に美しいのです。むしろ魚文なんてない方がいいと言いたいくらいです。

さて、このような型物香合の番付が「形物香合相撲」と題されて、安政2年(1855)に出版されているのですが、この番付自体ほとんど遺っておらず、とても貴重なものとなっています。それが静嘉堂文庫美術館には2枚もあるんです!! この2枚の番付も今回展示することにしましたので、陳列されている香合が、当時、どのように評価されていたかを知ることができます。ご自分の評価や好みと比べてみるのもおもしろいことでしょう。実を言うと、「僕の一点」はこの番付に載っていないフンドシカツギのような香合なんです!! 

美しい緑釉のほかに、この香合が僕を引きつけたもう一つの理由は、酒井忠以(号・宗雅)の遺愛品であった点にあります。これは二重の箱に収められているのですが、その外側の箱――これを外箱といいます――の蓋を見ると、裏側に宗雅の朱文瓢印が捺されているのです。宗雅はかの酒井抱一のお兄さんです。

2017年6月22日木曜日

静嘉堂文庫美術館「珠玉の香合・香炉展」5


香合は小さいという点に最大の特徴があります。もちろん、可愛らしさや馴染みやすさも香合の素晴らしさですが、それも小さいという特徴に収斂していく性格のように思われます。それは日本美術のとても重要な特質の一つです。『枕草子』にある清少納言のあまりにも有名な一句、「何もかにも小さきものはみな美しき」がすぐに思い起こされることでしょう。

イー・オリョンの『縮み志向の日本文化』に香合が登場していたかどうか、ちょっと記憶が定かじゃないのですが、もし出てきてないようでしたら、教えてあげたいですね。そして愉快なのは、その日本で愛された香合のうちに、たくさんの外国出来が含まれているという事実です。

あるいは、チェンバレンの「日本の美術は小さいものにおいて偉大だが、大きなものにおいて矮小である」という、ちょっと皮肉を込めたコメントでしょうか。だれでも知っている「山椒は小粒でもピリリと辛い」という、小さいものに対するオマージュも悪くありませんね。ともかくも、香合は日本美術における山椒のようなものです!?

2017年6月20日火曜日

静嘉堂文庫美術館「珠玉の香合・香炉展」4


この仏教と結びついたお香が古代の日本へ入ってきました。それは平安時代後期、王朝文化全盛のころに遊戯化され、僕的にいえばヒューマニズム化されました。室町時代に入ると、茶道、華道、能謡曲とともに香道が成立しましたが、もうこれは日本独自の文化であると誇ってもよいほど、ジャパナイズされた芸道となっていました。

やがて桃山時代になると、千利休により侘び茶が完成され、茶室に炉を切り、湯を沸かして茶を立てるという――お茶人には怒られそうですが――お座敷天ぷらのようなお茶が風靡します。その際生まれたのが炭手前で、そのとき用いられるお道具が炭道具ですが、当然のことながら香炉は脇役に追いやられ、香合の地位がアップすることになります。炭道具の中で、華やかにして可愛い香合は人々から深く愛され、やがて香合には特別のステータスが与えられるようになります。

だからこそ、炭手前を省略する大寄せの茶会などでは、その象徴として香合のみを床や書院に飾ることが行われるようになったのでしょう。日本人の美意識を考える際、とても興味深く感じられる現象です。あんなちっぽけなアイテムが、あれほどまでに愛おしまれ、炭道具すべてのシンボルとして機能しているからです。

2017年6月19日月曜日

静嘉堂文庫美術館「珠玉の香合・香炉展」3


これを認めた上での話ですが、仏教と結びつく前に、インドでは日常生活のなかでお香が使われていたにちがいありません。そもそも、白檀をはじめとする香木は、インドにたくさん自生していたのです。

現在は植樹して育てているようですが、古くから自然に生えていたのでしょう。これを利用しないはずはありません。しかも、インドの気候は高温で、地域によってはさらに多湿です。当然、汗をたくさんかくはずですし、悪臭も発生しやすいでしょう。

お釈迦さん誕生以前におけるインドのトイレは文字通りカワヤだったかもしれませんが、排泄物の悪臭を防ぐために、お香ほど効果的なものはほかにないでしょう。

彼らは香木を燃やして、肉の燻製を作っていたのではないかとさえ、僕は想像しているのです。このような日常生活におけるお香が、仏教に取り入れられたのであって、その逆であるはずはありません。ところで以前、『國華』社の近くにあったお洒落な和風飲み屋の「くはら」さんが僕は大好きでしたが、それは必ずトイレでお香が焚かれているからでした!? 

静嘉堂「曜変天目」2

黒釉の表面に多くの円い斑文が浮かび、その周囲がきらめいて星紋となり、華麗な虹彩を放つ曜変天目は、この静嘉堂文庫美術館所蔵を含めて 3 碗のみ、古くから稀観の神品としてたたえられ、日本だけに伝えられてきました。とくに僕が魅了されるのは、もちろん虹のごとき光彩です。古い文献に...