2020年9月30日水曜日

五木寛之『大河の一滴』6


『広辞苑』によると、「俗情」の第一義は「世俗のありさま。また、世俗の人情」です。俗情には「名利を念とする情」とか、若いころ悩んだ「情欲」の意味もありますが、もちろん大西巨人のいう「俗情」は第一義、つまり市井の人々の自然な心の動きです。「結託」がいかにも巨人的表現だとしても、世俗の人情にやさしく寄り添わずしてベストセラーにならないことは、巨人の指摘するとおりでしょう。

ところで人々は、みずからの考え方やものの見方が正しいことを証明し、納得するために、このような書を求めることがほとんどではないでしょうか。まったく自分の考えと反対のことが書いてあれば、大枚をはたいて買うはずもありません。

高度成長時代が終焉し、バブルがはじけて10年近くが経過し、何となく多くの人々が感じ始めていた疑い――やはり我々はどこかで間違っていたのではないかという気持ちと、共鳴を起こしたからこそ、ベストセラーになったのでしょう。その意味では、読者が五木寛之さんに寄り添ったのです。 

2020年9月29日火曜日

五木寛之『大河の一滴』5

 

あれもこれも、と抱え込んで生じる混沌を認め、もう少しいいかげんになることによって、たおやかな融通無碍の境地をつくることが、枯れかけた生命力をいきいきと復活させることになるのではないでしょうか。

 そうなんです。これは五木哲学の書です。いま書店で平積みにされているいわゆる人生本とは、位相を異にしています。腰巻には、「人生は苦しみと絶望の連続だ。地獄は今ここにある。その覚悟が定まったとき、真の希望と生きる勇気が訪れてくる。ブッダも親鸞も究極のマイナス思考から出発した。五木寛之がはじめて赤裸々に吐露する衝撃の人間論」とあります。そうなんです。これは哲学の書にして人間論の書なんです。


2020年9月28日月曜日

五木寛之『大河の一滴』4

そんな快挙を成し遂げられたのは、『大河の一滴』が時代に流されながらも、しかし万古不易のように「私はここに立つ」という「吹っ切れた」硬派の矜持が貫かれているからだと、姜さんは指摘しています。まさに正鵠を射るものでしょう。

ニーチェは「万人向きの書物は常に悪臭を放つ書物である」といったそうです。しかし本書は、五木さんの「一生に一度ぐらいは自分の本音を遠慮せずに口にしてみたい、という身勝手な願望」が、万人から迎えられたのです。読み方によっては危険思想や毒さえ含んでいます。本来「万人向きの書物」ではありません。

だからこそ悪臭を放すどころか、読んでいてとても気持ちがいいのです。またよく腑に落ちるのです。というよりも、僕の考え方とほとんど同じだといってよいかもしれません。たとえば次の一節など、いつも僕のいっていることとよく一致しているように思いますが、やはり五木寛之さんが言うと、人生哲学へと昇華するのです。

ヤジ「五木先生とオマエを比べたりするな!!

 

2020年9月27日日曜日

五木寛之『大河の一滴』3

それだけじゃ~ありません。今年3月上旬からふたたび売れ始め、文庫28万3千部、単行本5万7千部を増刷、すでに累計320万部を超えているそうです。拙著『文人画 往還する美』の1万倍以上です() 

先日、東洋文庫で「大宇宙展――星と人の歴史」を見て悠久の歴史に思いを馳せましたが、天文学的数字とは、『大河の一滴』の発行部数にこそふさわしい言葉ではないでしょうか。さらに著者プロフィールによると、エッセー集『風に吹かれて』は、1998年の段階で400万部に達していたそうです。

姜尚中さんは、ベストセラーの条件の一つとして、大西巨人が「俗情との結託」を挙げたことから書き始めています。しかし読者の心は移ろいやすく、ベストセラーでありながら、ロングセラーであり続ける極々まれな1冊が『大河の一滴』だというのです。

 

2020年9月26日土曜日

五木寛之『大河の一滴』2

5ヶ月間もすぐそばにあったのに、姜尚中さんの書評を読むまで、目に入らなかったのです。あるいは目に入っても、意識しなかったのでしょう。人間は自分に関心がなければ、認識することはできないという命題を、改めて認識したのでした。この部屋をお使いなっていた米山寅太郎先生がお読みになっていたのかもしれません。

 さっそく持ち出してきましたが、奥付をみると、平成10年(1998)4月15日に初刷りが出て、ひと月半後の6月1日に10刷りですから、発行後すぐベストセラーになったことが分かります。ところが『朝日新聞』によると、これが翌1999年に幻冬舎文庫になり、46刷り201万部に達しているというのです。 

2020年9月25日金曜日

五木寛之『大河の一滴』1

五木寛之『大河の一滴』(幻冬舎 1998年)

 先日の『朝日新聞』読書欄に、「売れてる本」としてこれが取り上げられていました。読書欄は読んでも、このベストセラー・コーナーはいつもスルーしてしまうのですが、この日とくに読んだのは、NHKテレビ「日曜美術館」でお世話になった姜尚中さんが評者だったからです。

また学生時代、五木寛之さんの『さらばモスクワ愚連隊』を、ワクワクしながら読んだことも思い出したからです。姜さんによると、『大河の一滴』はベストセラーにしてロングセラーとのことですが、世の中にはそういう本もあるんだなぁと思っただけでした。

その翌週、静嘉堂に出勤すると、驚いたことに、4月以来執務室にしている文庫長室の書棚にこの本があるではありませんか。

 

2020年9月24日木曜日

静嘉堂「美の競演」8

 

    宴に侍す

 月・日のごとく天皇の 威光はあまねく照りわたり

 その徳性は天地[あめつち]を 載せるがごとく広大で

 天と地と人すべからく 安らかにして盛んなり

 臣下としての忠誠を すべての国が示してる

 

    懐いを述ぶ

 天の教えに従って 身に着けるべし道徳を

 心を天に預けつつ 天子を補佐せん善政で

 銃後の守りも天皇と 従軍する才なきを恥ず

 いかに天下を安らかに 統治すべきか悩むのみ


五木寛之『大河の一滴』6

『広辞苑』によると、「俗情」の第一義は「世俗のありさま。また、世俗の人情」です。俗情には「名利を念とする情」とか、若いころ悩んだ「情欲」の意味もありますが、もちろん大西巨人のいう「俗情」は第一義、つまり市井の人々の自然な心の動きです。「結託」がいかにも巨人的表現だとしても、世俗の...