2024年7月27日土曜日

東京国立博物館「神護寺」7

 

古川さんは神護寺薬師をもともと神願寺の本尊であったという説に立っているようですが、神願寺が宇佐八幡神の神託によって建立された寺院であったことを特筆大書されているのです。僕は拝読して快哉を叫びたいような気持ちになりました。

神護寺薬師は弘仁貞観時代を象徴する仏像です。もっとも最近、なぜか「弘仁貞観時代」はまったく使われなくなり、「平安時代前期」などという味も素っ気もない名称になっちゃっています。

しかし尊敬する蓮実重康先生には、『弘仁貞観時代の美術』(東京大学出版会 1962年)というすぐれた編著書があります。『広辞苑』だって、チャンと「弘仁貞観時代」という項目を立てています。時代区分には無味乾燥なる「平安時代前期」なんかじゃなく、美しい響きをもつ「弘仁貞観時代」を用いるべきです!!

 ヤジ「そういうのを時代区分じゃなく、時代錯誤というんじゃないの!?


2024年7月26日金曜日

東京国立博物館「神護寺」6

 

僕のいう日本美術の素性である素材主義を、ここにも見出すことが可能でしょう。これを伊勢神宮の白木建築まで引っ張っていけば、チョッとやりすぎかもしれませんが……。

しかし自然や風土まで持ち出してくれば、まったく無関係ともいえないでしょう( ´艸`) 霊木彫刻や立木仏に象徴されるごとく、素材と精神は表裏一体の関係に結ばれています。とくに自然崇拝やアニミズムが強い我が国では、当たり前田のクラッカーです(!?)

この神護寺薬師を語るとき、僕は以上の美意識と彫刻史と宗教の3点から考えてきました。内覧会では、この神護寺薬師のお顔を大きくクローズアップした260ページの大カタログを頂戴しました。その巻頭論文は、チーフキューレーターをつとめた古川摂一さんの「神護寺の歴史と高雄曼荼羅」という力作です。

テーマの中心はこれまた神護寺が誇る紺紙金銀泥絵「両界曼荼羅」、いわゆる「高雄曼荼羅」ですが、古川さんは薬師如来立像から説き起こしています。


2024年7月25日木曜日

東京国立博物館「神護寺」5


 この森厳なるお顔が、むしろ神像彫刻を思わせるのは、偶然じゃ~ないと思います。すでに垂迹美術だといえば言いすぎですが、薬師如来のうちに宇佐八幡が宿っているといった感じがします。これは最初に神護寺薬師を拝んだときの第一印象が異常発酵した結果生まれた独断と偏見です。

直感的に慈愛に満ちた仏様よりも、畏怖すべき神様のように感じられたんです。一言でいえば神々しかった――つまり最初から僕にとっては神様だったんです。畏怖すべき尊顔を、武神・軍神・弓矢神として尊崇された八幡神と結び付けたい誘惑にも駆られます。畏怖いふは威武いぶに通じるのかな( ´艸`)

2024年7月24日水曜日

東京国立博物館「神護寺」4

古くから高雄は山岳信仰の盛んな霊地でしたから、その地に建立された高雄山寺の本尊であったという説も魅力的だと思いますが、神願寺本尊説が定説のようです。しかしいずれにせよ、清麻呂が信仰し帰依していた宇佐八幡と密接に結びついていたことは明らかです。

もちろん仏教と宇佐八幡は、早くから不即不離の関係に結ばれていました。かの東大寺毘盧遮那仏びるしゃなぶつ、いわゆる奈良大仏の場合がよく知られています。

大仏建立を発願した聖武天皇は、はるばる宇佐八幡へ祈願の勅使を派遣して神託を得ると、完成の暁には宇佐八幡神を勧請して東大寺の守護神としたのです。垂迹思想の原点をここに求める研究者も多いようです。しかし神護寺薬師の場合、創建の経緯からみても、宇佐八幡神との関係はさらに濃厚であったのではないでしょうか。

 

2024年7月23日火曜日

東京国立博物館「神護寺」3

彫刻史的にみれば、いわゆる唐招提寺講堂木彫群との関係を考えなければならないでしょう。現在は新宝蔵にまつられている仏像彫刻群です。しかし関係の強弱については、見解が分かれているようです。

講堂木彫群を造ったのが鑑真和上と一緒に渡来した工人あるいはその影響を受けた仏師であったことは明らかですが、神護寺薬師を彫った仏師は、系統を異にしていたかもしれません。優婆塞や私度僧のような素人仏師とは考えられませんが、チョッと常軌を逸した、つまり神がかった仏師だったのかな?

だから言うわけじゃありませんが、宗教的にみれば、薬師如来という仏像でありながら、神像的要素も包摂しているのではないかと感じられます。つまり宇佐八幡との抜き差しならぬ関係です。この像が和気清麻呂の私寺であった高雄山寺の本尊であったか、正式な定額寺であった神願寺の本尊であったかはよく分かりません。

 

2024年7月22日月曜日

東京国立博物館「神護寺」2

 

NHK文化センター青山教室講座では、毎回マイベストテンを選んでしゃべることにしているのですが、もちろん今回はこの神護寺薬師を筆頭に掲げました。これを美意識的にみれば、一木造であることによって、強い垂直性が規定されていることになります。

樹木の垂直性は、日本仏教彫刻の簡潔性シンプリシティを生み出す基本的要素です。もちろん日本にも、金銅仏や乾漆像があるわけですが、その祖型や木組みや木心が木であることを考えれば、樹木の垂直性や直線性を無視することはできないでしょう。それは円空仏にまで継承されています。

日本仏教彫刻の簡潔性は樹木の垂直性に起因するというのがマイ独断です() しかし重要なのは、初めの材質による簡潔性が、やがてそれを美しいと感じる美意識に変化、あるいは昇華していったことかもしれません。


2024年7月21日日曜日

東京国立博物館「神護寺」1

 

東京国立博物館「創建1200年記念 神護寺 空海と真言密教のはじまり」<98日まで>

 NHK文化センター青山教室講座「魅惑の日本美術展 おすすめベスト6!!」については先にアップしましましたが、7月のトピックは東京国立博物館「創建1200年記念 神護寺 空海と真言密教のはじまり」です。ちょうど講座前日が内覧会だったので、予習(!?)を兼ねて出かけました。必ず教科書に載っている国宝の実物が何点も、マジカで拝見できる千載一遇の特別展です。

 「僕の一点」は、もちろん国宝「薬師如来立像」ですね。神護寺から展覧会場へお出ましになったのは初めてのことだそうです。いつもは神護寺の金堂に安置されていますから、参詣すればいつでも拝観できるわけですが、今回は平成館の明るい光の下、しかも露出展示です。足もとに額づいて、その圧倒的迫力を肌で感じ取れば、もうキャプションなんか読む必要はありません。この仏さんを拝むだけでも、2100円の入場料は高くありません(!?) 

東京国立博物館「神護寺」7

  古川さんは神護寺薬師をもともと神願寺の本尊であったという説に立っているようですが、神願寺が宇佐八幡神の神託によって建立された寺院であったことを特筆大書されているのです。僕は拝読して快哉を叫びたいような気持ちになりました。 神護寺薬師は弘仁貞観時代を象徴する仏像です。もっと...