2018年5月26日土曜日

炎上!!スティーブ・マッカリー1


 先日、台北当代芸術館で見た「晃彩 スティーブ・マッカリー」展についてアップしましたが、そのあと、ネットで「スティーブ・マッカリー」を検索したところ、いま彼が炎上していることを知りました。

最近、マッカリーがキューバで撮った写真が――もちろんプリント写真として、イタリアで公開されたそうです。ところがその中に、建物の前を歩く男の足首が消えちゃっている一枚がありました。明らかにフォトショップの操作ミスによるものでした。これを見つけたイタリアのフォトグラファーが、これをネットにアップしたところ、マッカリーのミスとして炎上するところとなったのです。

もちろんそのフォトグラファーは、マッカリーにケチをつけるつもりなど毛頭なく、単に笑いをとるためにアップしたのですが、何といっても相手は世界一流の人気写真家ですから、話題とならないはずがありません。

2018年5月25日金曜日

出光美術館「宋磁」2


「僕の一点」は、出光美術館が所蔵し、南宋から元時代の龍泉窯で焼かれた「青磁双魚文盤」です。口径13センチほどの小ぶりな盤ですが、これに肴を盛ってやる一杯を想像するだけで、ヨダレが垂れてきます。僕のペトルス・レグート窯ジャンク・ソーサーには、柿ピーかチーカマかイカクンですが、この青磁盤には最高級のアテじゃなければ失礼にあたります。

青木正児先生が「ながまちのながの長崎からすみに熱燗添えて妻の呼ぶ声」と詠んだ長崎のカラスミでしょうか。あるいは、キャビアハウス&プルニエのアルマス・ペルシカスも悪くありません――食ったこともないものを挙げたりするな(!?) 色彩的には、明治33年(1900)創業を誇る門司・枕潮閣で供されるようなふぐの白子がピッタリでしょう。

徳留さんの解説によると、2匹の魚は貼花という貼り付け技法によるもので、宋時代において広く古事に通じる「博古風尚」が尊ばれた時代思潮のなかで、漢時代の双魚文銅盤がモチーフになったものだそうです。中国では手紙のことを古くから「双魚」とか「双鯉」とかいいますから、このようなデザインは、宋代の文人士大夫にもきっと喜ばれたにちがいありません。

2018年5月24日木曜日

出光美術館「宋磁」1


 
出光美術館「宋磁 神秘のやきもの」<610日まで>
 仰韶<ヤンシャオ>文化期の彩陶から数えれば、ゆうに7000年の歴史を誇る中国陶磁のなかで、最高のクオリティーに達したのは宋の時代でした。この特別展の副題に「神秘のやきもの」とあるとおり、宋磁――宋時代のやきものの美しさを表現するのに、「神秘的」以外の言葉を見つけることはむずかしいでしょう。見ているだけで、鳥肌が立ってきます。目がウルウルになってきます。専門家が詮索する窯の名なんて、どうでもよくなってきます。
中国文化史では、よく「六朝の書、唐の詩、宋の絵画」といってこれをたたえます。文人士大夫が尊ぶ「詩書画」を3つの時代に当てはめたものでしょうが、僕的には「六朝の書、唐の詩、宋の陶磁」といいたい誘惑に駆られます。青磁・白磁・青白磁・黒釉磁など、きわめてシンプリシティーの高い単色の釉薬をみずからの皮膚とする宋磁をじっと見ていると、「すべての音楽はシンプリシティーを目指す」という名指揮者フルトヴェングラーの至言が思い出されてくるのです。
このような神秘の宋磁に、エレガントな宋磁やカワイイ宋磁も加え、出光美術館コレクションを中心として、100点以上の名品優品を集めたのがこの特別展です。企画キューレーター・徳留大輔さんのカタログ論文や解説、あるいはキャプションを参考にしながら静かに歩を運べば、宋磁のすべてが、あなたの胸底に美しくクッキリとした影を宿すことでしょう。

 

 
 

2018年5月23日水曜日

京都国立博物館「池大雅」4


その意味では、主知従感の画家だったといってもよいでしょう。誤解を恐れずにいえば、与謝蕪村は主感従知の画家にして俳人でした。

感性がイマジネーションを生み出しやすいことは、指摘するまでもありませんが、知性もイマジネーションの萌芽となることは、文学の歴史が証明しています。

しかし大雅は、日本で生まれ日本で育った日本人でした。いくら「池大雅」と中国風に修したところで、中国人にはなれませんでした。そこに大雅の葛藤があったのではないでしょうか。それが言いすぎなら、アイデンティティを希求しながら歩いていく荒野が、大雅のまえに広がっていたのではないでしょうか。あれほどまでに大雅が富士に執着した事実を、合わせ鏡のように考えてみたい誘惑に駆られるのです。

いつか機会に恵まれたら、「知性の画家・大雅」とか「大雅――知性による想像力」といったエッセーを書いてみたいなぁという思いを強くしながら、「6時閉館」の案内に追い立てられるように、まだ日差しの強い中庭を、七条通りの出口に向かって歩き出したことでした。

2018年5月22日火曜日

京都国立博物館「池大雅」3


何よりも最初に、中国の古典によって、豊かなイメージの世界が培われていたのです。それは胸底の丘壑ならぬ、胸底の中国という心象でした。それを通してすべてのものを見るという視覚回路、あるいはさらに思考回路が出来上がっていたのです。

広く日本を歩き回った旅も、本当はそうしたかった中国旅行の代替行為だったのかもしれません。旅によって大雅作品の三次元的表現が担保されたのだという通説を完全否定することはむずかしいとしても、直接的に結びつけることには再考の余地があるように思われ始めました。

古典からのイマジネーションによって豊かな空間性を生み出すことは、絶対不可能なことでしょうか。たとえば、起承から転へ、想像力によって広げられる漢詩の構成が、触媒のように作用した可能性だって考えられるでしょう。

もしこれが認められるなら、大雅は知性の画家であったことになります。もちろん画家であって学者ではないわけですから、知性だけであるはずもなく、感性も重要な位置を占めていることは、改めて指摘するまでもありません。

2018年5月21日月曜日

京都国立博物館「池大雅」2


見終わったとき僕は、これまでとちょっと異なる大雅像が胸中に焦点を結ぶのを感じました。これまで大雅は、キャッチコピーにあるごとく「旅の画家」と考えられてきました。これは否定できない事実です。

しかし、旅という実体験の前に、中国の自然と文化への憧憬とそこに胚胎したイマジネーションがあったのではないでしょうか。もしそうだったとすれば、見ることも直接触れることも叶わない中国の自然と文化に対する憧憬は、どのようにして生まれたのでしょうか。それは中国の古典によって、つまり文字の力によって醸成されたのではないかという思いが、会場を巡るうちに段々と強くなってきたのです。

7歳にして、黄檗山万福寺12世杲堂元昶や丈持大梅の前で大字を披露し、「七歳の神童」とたたえられたのは、きわめて象徴的です。大雅が画家であるとともに、書家であった事実も忘れることができません。

2018年5月20日日曜日

静嘉堂文庫美術館「酒器の美に酔う」ジャンクで一杯7


日本でも大名屋敷などの発掘をすると、幕末明治の地層から出土することがあり、幕末期に日本へ輸入された伝世品も多くあることから、日本の陶磁史研究者の間でも比較的よく知られているそうです。

なぁ~んだ――僕が知らなかっただけのことだったんです(笑) 専門的な図録もオランダやイギリスで出版されており、日本が輸入したペトルス・レグート窯作品については、岡泰正さんにより研究され発表されているそうです。これまた、まったく知りませんでした。

桜庭さんはネットサーフィンで見つけたお皿の写真も送ってくれましたが、僕の「カップ&ソーサー」の図柄とまったく同じなんです!! 「やったー」と思いましたが、よく見ると、僕のは全体にメリハリがなくて、線もちょっと鈍く、細かいところが省略されちゃっています。おそらくペトルス・レグート窯でも、量産された二番手の作品だったのでしょう。でも、柿ピーやイカクンやチーカマには、僕の方がピッタリなのだ――普通こういうのを負け惜しみというのかな?

炎上!!スティーブ・マッカリー1

 先日、台北当代芸術館で見た「晃彩 スティーブ・マッカリー」展についてアップしましたが、そのあと、ネットで「スティーブ・マッカリー」を検索したところ、いま彼が炎上していることを知りました。 最近、マッカリーがキューバで撮った写真が――もちろんプリント写真として、イタリア...