2021年1月26日火曜日

追悼 清水義明先生3

僕がうろたえていると、すぐに清水先生が助け舟を出してくれたのです。それで発言者もよく納得されたようで、そのあと30分ほどの討論も無事終了したのでした。あのとき清水先生がいらっしゃらなかったら、司会者の僕は一体どうすればよかったのでしょうか。それ以来僕は、清水先生に足を向けて寝られないのです(!?)

このCIHAの直後だったと思いますが、清水先生を東京大学へお招きすることになりました。本来なら日本文化研究センターで1年間お呼びするはずだったのですが、僕の力不足で、その半分にも満たない短期間になってしまいました。しかしこの間、先生とはさらに親しくなることができましたし、仏教における本覚思想をはじめ、多くのことを教えていただいたのです。

 

2021年1月25日月曜日

追悼 清水義明先生2

そこでよく存じ上げており、論文も拝読して深く心に残っている清水先生、ドリス・クロワッサンさん、ジャン・カルロ・カルツァさん、坂本満さん、林進さんの5人に発表を依頼しました。

一応、統一テーマを「日本美術における外国からの影響――16世紀~19世紀――」と設定しましたが、皆さんにはそれぞれ関心のある問題を取り上げて自由にお話くださいとお願いしました。僕は初めに簡単な趣旨説明をやれば、あとは司会だけという簡単な役回りです。

それぞれ興味深い発表が終わって、ディスカッションに入りましたが、冒頭、会場にいらっしゃったある研究者からの発言がありました。19世紀も入っているのに、近世の発表ばかりで、近代が一つもないというのは偏りすぎているという指摘のように思われましたが、僕のヒヤリング能力では、それさえあまり定かでではありませんでした。

 

2021年1月24日日曜日

追悼 清水義明先生1

 


 米国・プリンストン大学名誉教授の清水義明先生が、120日、オレゴン州・ポートランドのご自宅でお亡くなりになりました。1936年のお生まれですから、84歳か85歳でしょう。先生はアメリカにおける日本美術史研究のトップランナーでした。そのアメリカで、いま日本美術史研究者として大活躍中のアンドリュー・ワツキーさんと、ユキオ・リピットさんから、悲しみのメッセージが相次いで入りました。

先生とはずいぶん早くにお会いしたように思いますが、何かの国際シンポジウムだったでしょうか。しかしもっとも強く印象に残っているのは、19927月、ベルリン国際会議場で行なわれた国際美術史学会(CIHA)会議です。そのアジア美術セッションを企画してほしいと頼まれた僕は、時間も4時間と限定されていたので、思い切って日本美術史にしぼることとしました。

2021年1月23日土曜日

すみだ北斎美術館「GIGA・MANGA」4

 


周りの女性を数えてみると、赤ちゃんや子供を含めて36人です。36というのは多数を意味する縁起のよい数字で、36歌仙や葛飾北斎の「富嶽三十六景」はよく知られていますね。しかしこの絵は死絵ですから、仏道に志す人を守護する護法神王である36善神と関係づけたらどうでしょうか?

それはともかく、この死絵を「僕の一点」に選んだ理由は、もっぱらかわいらしいネコちゃんにあります。饒舌館長――別名「ネコ好き館長」ですからね() 画面の下の方を見ると、白いネコが前足で涙を拭きながら泣いているでしょう!! もちろん鶴寿が詠んだように雌ネコです。

ネコがよくやる顔を洗っているような仕草を、泣いている姿に転用したところに、画家のすぐれたウィットが感じられます。8代目団十郎の早すぎる逝去を悼む死絵が、トリックスターともいうべきネコちゃんのお陰で、ちょっとユーモラスなものになり、見る人の心を和ませてくれるのです。

2021年1月22日金曜日

すみだ北斎美術館「GIGA・MANGA」3

 

 10歳で団十郎を襲名した8代目は、若くして天才的な演技をみせましたが、とくにイケメン中のイケメンで、江戸市民から熱狂的に迎えられました。「助六」の舞台で団十郎が入った桶の水を、美顔水として売り出すと、ものすごい人気を集めたと伝えられています。ところが嘉永7(1854)86日、旅先の大阪で自死を遂げてしまうのです。享年32、その理由は謎だそうです。

平凡社版『歌舞伎事典』には、天性の華やかさと美貌を生かした児雷也や切られ与三郎などの当たり芸を残したとあります。またカタログによると、死絵が300種以上も出たそうで、「僕の一点」もそのうちの1枚なのでしょう。賛者は歌川国芳のパトロンとして有名な狂歌師・梅の屋鶴寿でしょう。「牡丹」は市川家の替紋である杏葉牡丹を指すと思われますが、「ひさごのつるの林」とは? ご教示をお待ちいたしております。

*早速、以前アップしたことがある中村奨学会の中村眞彦・まり子さんから吉報が入りました。「つるの林」=鶴林=入滅を意味し、「ひさご(瓢)」は、俳諧を好んだ2代目団十郎が松尾芭蕉から瓢箪を譲り受け、市川家の家宝として衣裳紋にも使っていたことにちなむとのことです。ありがとうございました❣❣❣❣❣❣❣❣❣



2021年1月21日木曜日

すみだ北斎美術館「GIGA・MANGA」2


「僕の一点」は、筆者不詳の版画「死絵 八代目市川団十郎」ですね。8代目団十郎の肖像掛幅画の周りで、たくさんの女性が悲嘆にくれ、あるいは泣きくずれています。肖像の両脇に次のような款記と賛が見えます。

嘉永七甲寅年八月六日 猿白院清日田信士 行年三十二才 

辞世 うしろ不二難波に残す旅の空

  女猫まで袖になみだをふく牡丹 なくやひさごのつるの林に 梅屋

 

2021年1月20日水曜日

すみだ北斎美術館「GIGA・MANGA」1

 


すみだ北斎美術館「GIGA・MANGA 江戸戯画から近代漫画へ」<124日まで>

 漫画・諷刺画研究科の清水勲さんをゲスト・キューレーターに迎えて企画された、おススメの展覧会です。清水さんはカタログに「日本漫画の歴史」という簡にして要を得た一文を寄せて、江戸時代の諷刺表現である戯画が、いま僕たちが認識している漫画の原点であることを明らかにしています。

最後に清水さんは、「『商品としての漫画』を300年前から楽しんだ国民はあまりいなかったのではないか。それは日本の大衆文化の誇りだと言ってよい」と書いています。「おっしゃるとおり!!」と拍手したい気分になるこの結論が、300点以上の作品によって、自然に腑に落ちるよう、じつにうまく構成されています。

清水さんに直接お会いしたことはありませんが、編集された『ビゴー日本素描集』『ワーグマン日本素描集』(ともに岩波文庫)には、これまでずいぶん楽しませてもらってきました。

追悼 清水義明先生3

僕がうろたえていると、すぐに清水先生が助け舟を出してくれたのです。それで発言者もよく納得されたようで、そのあと 30 分ほどの討論も無事終了したのでした。あのとき清水先生がいらっしゃらなかったら、司会者の僕は一体どうすればよかったのでしょうか。それ以来僕は、清水先生に足を向けて寝...