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2017年6月30日金曜日

静嘉堂「曜変天目」6


これはみな、虹をすばらしい吉祥、美しい気象と考えていたことの証拠となるでしょう。僕の経験でいえば、上海には虹橋国際空港があって、何回か利用したことがあります。もし縁起の悪いものとのみ考えられていたら、国際空港に「虹橋」などという名前をつけることは絶対にないでしょう。

しかし、聞一多が指摘するような虹をよくないものとする思想が同時にあった事実、しかもそれがかなり強かった事実を見逃すわけにはいきません。

しかしわが国において、虹を不吉視することはなく、むしろその美しさを素直にたたえてきました。山本健吉の『基本季語五〇〇選』によると、虹を詠んだ古歌は非常に少ないそうですが、そこに引かれた三首は、みな虹をすばらしい気象としているように思われます。 

村雲のたえまの空に虹たちて時雨すぎぬるをちの山のは 藤原定家

虹のたつ麓の杉は雲に消えて峯より晴るる夕立の雨   前太宰大弐俊兼

虹の立つ峯より雨は晴れそめて麓の松をのぼるしらくも 藤原親行

2017年6月29日木曜日

静嘉堂「曜変天目」5


もっとも虹蜺は龍の一種と考えられ、おめでたいものやよいもののシンボルと見なされることもあったようです。それを端的に示すのは、古代中国の五帝の一人で、尭の没後帝位に就き、徳をもって善政を行なった理想的帝王である舜の誕生にまつわる逸話です。

舜は瞽瞍[こそう]というアホな男と、その妻である握登「あくと」の間に生まれた子供ですが、あるとき握登は虹を見て孕み、舜を生んだというのです。また中国には、虹旗という虹を描いた皇帝の旗があったそうです。

漢詩に虹を詠んだものは少ないようですが、白楽天に「河亭の晴望」という五言律詩があり、『白氏文集(白氏長慶集)』巻54に載っています。僕の戯訳で紹介しましょう。 

 風向きが変わって雲が吹き飛ぶと かすみも消えて水面[みなも]あらわる

 雨も晴れ橋の形の虹が出りゃ 櫓を漕ぐごとく雁鳴き渡る

 蘇州よく治まるもわれ辞職せり 古里遠く返信も来ず

 明日重陽九月九日節句だが 菊酒注いでくれる友なし

2017年6月28日水曜日

静嘉堂「曜変天目」4


それだけではありません。中国には虹をよくないものと見なす思想があったのです。聞一多の『中国神話』(東洋文庫497)をひもとくと、「虹と美人」という項があります。

それによると、漢代以来、虹は陰陽二気の交接の象徴、邪淫のシンボルと考えられていたそうです。現在でいえば、エッチとか不倫ということになります!?

しかも漢代の『京房易伝』という本には、「妻 夫をしのげば則ち之れを見る。陰 陽に勝るの表れなり」とあるそうです。「メンドリ歌えば家滅ぶ」「メンドリ勧めてオンドリ時を作る」と似たような男尊女卑の思想ですが、それが美しい虹と結びつけられている点に興味つきないものがあります。

さらに虹は陰奔なる美人、つまりセクシーな妖婦や毒婦にたとえられ、漢儒たちは虹蜺異災論をとなえるときにその根拠としたのでした。ちなみに「虹」は雄のニジ、「蜺」は雌のニジです。聞一多はこのような思想が、『詩経』にまでさかのぼることを指摘しています。

またある百科事典によれば、古代中国では虹を不吉な現象とし、決して指差してはならぬとしていたそうです。そもそも虹も蜺も虫偏であるのは、気味の悪いものと見なされていたことを暗示しています。

本来「虫」は蛇のマムシを指す漢字だったと、『諸橋大漢和辞典』には書いてあります。また「虹」に「乱す」「乱れる」という意味があるのも興味深く感じられます。

2017年6月27日火曜日

静嘉堂「曜変天目」3


古く「窰変」「容変」と書かれるのは、現在の「窯変」のこと、また「曜」は日の光であり、また日月星辰の総称ですから、斑紋の美しさを称賛して、「窯」を同音の「曜」に変えたのでしょう。また「耀変」と書かれる場合もありますが、これも同じです。つまり「曜変天目」は「窯変天目」、それは人知の及ばざるところであり、しかもこんな窯変は天文学的確率でしか起こらなかったのだと思います。

しかし、中国の皇帝がこれを「無上の美」と感じたとしたら、東夷の国日本に輸出などするでしょうか。当然みずからの宝庫に収めたことでしょう。ここには美意識の違いがあったに違いありません。陶磁器にも完璧な美を求める中国において、こんな窯変が起こったら、それは疵物だったのです。

先の杭州曜変が出土したところの近くに、皇帝の迎賓館があったことをもって、中国でも高位貴顕の間で珍重されていたという見解もあるようですが、ちょっと疑問のように思われます。それなら、皇帝のコレクションに、つまり北京や台北の故宮博物院に収蔵されていて当然でしょう。

 

2017年6月26日月曜日

静嘉堂「曜変天目」2


黒釉の表面に多くの円い斑文が浮かび、その周囲がきらめいて星紋となり、華麗な虹彩を放つ曜変天目は、この静嘉堂文庫美術館所蔵を含めて3碗のみ、古くから稀観の神品としてたたえられ、日本だけに伝えられてきました。とくに僕が魅了されるのは、もちろん虹のごとき光彩です。古い文献に「虹彩」と書かれることがあるのもそれゆえでしょう。

先の「茶の湯の美、煎茶の美」展のとき、東洋陶磁美術館・小林仁さんに「唐物天目についての新知見」と題して、講演をしていただきました。そのスライドのなかに、まさしく虹のように写った数枚があり、それまで考えてきたことが実証されたようで、とてもうれしく感じたものでした。

2009年、西湖で有名な杭州の工事現場から、割れた状態で曜変天目が発見されましたが、原産地の中国でもこの一点だけなのです。なぜなのでしょうか。次のように僕は考えています。

2017年6月25日日曜日

静嘉堂「曜変天目」1


静嘉堂文庫美術館「曜変天目」

 現在、静嘉堂文庫美術館で開催している「かおりを飾る 珠玉の香合・香炉展」については、すでに7回に分けてアップし、「僕の一点」も紹介いたしました。その時ちょっと書きましたように、いま人気沸騰の我らが「曜変天目」――固有名詞で呼べば「稲葉天目」も香合や香炉と一緒に陳列されています。

皆さんからのリクエストがたくさん寄せられたからであって、決して客寄せパンダという意味じゃありません。若干その気味もあるかな( ´艸`)。

 僕の関心は、世界に3碗しかない曜変天目のすべてが、なぜ日本にあるのか?という点に集中しています。曜変天目の「日本限定現象」です。陶磁器としての歴史や組成、あるいはお茶文化における位置については、それぞれの専門家にお任せするしか、ほかに途はありません。絵画史専攻の僕が、口を挟む余地などまったく残されていないのです。

しかし「日本限定現象」については、ちょっとした私見があったので、それを旧「K11111のブログ」にご披露したわけなのですが、その後、新しい情報がいくつか寄せられました。それをご紹介しようというのが、今回の目的です。

しかしその前に、私見なるものを旧ブログから再録することをお許しいただきたいと存じます。「饒舌館長」から、新たにマイブログのファン?になられた方も少なくないでしょうし、これのあとに新情報をお読みいただくと、さらにおもしろいように感じられるからです。もっとも、すでに旧ブログを読んでご記憶にある方は、ここをすっ飛ばしていただいて結構です。

2017年6月24日土曜日

静嘉堂文庫美術館「珠玉の香合・香炉展」7


 酒井家は幕藩体制のなかにあって、政治的権力をふるっただけじゃありませんでした。代々酒井家には、文雅を愛するDNAが流れていました。例えば、抱一のお祖父さんにあたる忠恭も、お父さんの忠仰も、学問や芸術を愛して止みませんでした。その典型こそ宗雅で、諸芸にすぐれた才能を発揮しましたが、とくに茶道では、尾花庵宗雅と号する茶人として名をなしました。

かつて「抱一の伝記」と題する拙文を書いた時、宗雅のことも調べてみました。その際お世話になったのは、粟田添星の『茶人 酒井宗雅』という本と、根津美術館編集の『姫路酒井家の兄弟 宗雅と抱一』という立派なカタログでした。

お香をやらない僕がこの香合を使うとすれば、上等な天然塩を入れて食卓に置いておきたいなぁ!! 蓋を取った時、緑釉とお塩の白さがハッとするようなコントラストを演出してくれることでしょう。もっともすぐに湿気ちゃうかな? 

 香炉の「僕の一点」は、「俵に猫香炉」です。18世紀から19世紀にかけて作られた備前焼で、猫の目から煙が出るように穴を開けているところがミソです。これが背中や頭だったらおもしろくありません。猫ファンの僕が選ぶのですから、そのネコが実にうまく作られていることは当然ですが、先日アップした虎吉社長に何となく似ているところが、「僕の一点」になったポイントかも!? 

荻生徂徠の賛酒詩がスゴクいい❣❣❣ 『荻生徂徠全詩』3<東洋文庫>饒舌館長ベストテン 8

  荻生徂徠「春日、君瑞・叔潭・潮師・子和集う。韻を青の字に分かたる」  江戸城南の草の色 色づき始める青々と……  二月の春風 芳しく 我が楊雄 ようゆう の 庵 いお に 吹く  侯芭 こうは の ごとき弟子が酒 一本 下げて来ないなら  『玄経』著者が住む辺も もの寂 しか...