さらに続けて「文展再開」とあり、「天にやぶれ地にまみれたるうましくにかきおこすべき絵筆とれといふ」という一首が採られています。この絶唱こそ、文展再開に際して揮毫した「朝晴」の制作意図であり、僕の推測を裏付けるものにほかなりません。
そこで改めて作品へ寄り添ってみると、玉堂が『萌春』創刊号(1953年)に随筆「身辺画趣」を寄稿し、つぎのように述べていることが注目されます。
私は此のように、晩冬から、早春の頃の季節が好きなのは、前にもいったように、自然の骨といおうか、ものみなの線というものがはっきりわかるからで、これは東洋画というものが、本来線を重んじ、墨色を尚ぶという、その気分とピッタリ合致するからである。

0 件のコメント:
コメントを投稿