2024年12月17日火曜日

東京国立博物館「はにわ」7

とはいえ、殉死と無関係であったとしても、埴輪には何かの代用という性格があったと読み替えれば、この説話を無下に捨て去ることはできないように思いますが、いかがでしょうか。

この垂仁天皇殉死代用説が否定されるとともに、たくさんの「埴輪が作られた意味」が考え出されました。さまざまな付帯条件には目をつむり、僕が勝手につけた名称も交えて列挙すれば、柴垣模倣説(玉垣説)、土留め説、仮面説、呪術説、葬列表現説、霊界用具説、霊魂依代よりしろ説、殯もがり(殯祭ひんさい)、誄しのびごと(誄辞るいじ)、王権継承儀礼説、芸能説、マツリゴト再現説(被葬者回想説)ということになります。

詳しく知りたい方は、増田精一『埴輪の古代史』(新潮社 1976年)や白石太一郎「埴輪の世界」(講談社版『日本美術全集』1 1994年)、和田晴吾『古墳と埴輪』(岩波書店 2024年)がおススメです。

 

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