つまり、いま遺る二つの墓はともにもともとのものではありませんが、一蝶が熱心な法華信徒であったことは疑いありません。実は一蝶を幕府に禁圧された日蓮宗不受不施派と見なして、三宅島配流をそれと関連づける見解もあるんです。
もう35年も前のことですが、永瀬恵子さんという研究者が、いまは廃刊になってしまった美術雑誌『日本美術工芸』に「一蝶拾遺」というとても興味深い連載をされました。結論を一言でいえば、一蝶不受不施派説で、それを実証すべく発表された論文でした。いま僕の手元に残っているのは、その618号だけですが、この号には「一蝶拾遺③ 『乗合船図』と人物モチーフ」が載っています。
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