医術をよくした師・玉田黙翁の影響を受けて、玉堂もこれに造詣が深く、漢方薬を調合して、漢詩人・西山拙斎に贈ったりしています。玉堂が修亭を迎え入れたのは、もちろん風雅を愛する文人としての交わりでしたが、漢蘭折衷医の修亭に対する尊敬の念もあったにちがいありません。
この七言律詩は玉堂の詩集である『玉堂琴士集』に収録されることはなかったようですが、琴に対する強い愛惜の念と、清濁併せ飲むことができない自己の性格に対する矜持をうたって、玉堂その人と対面しているような気持ちになってきます。
私は2025年6月から日課として膨大な談山神社古文書のチェックを始めた。 ひと月ばかりたった頃、学頭の日誌を見ていて胸が高鳴った。 頻出する「花鳥之間」「富士之間」の記事。 竹林坊学頭屋敷のこれらの部屋に社僧たちが一堂に揃い、盛んに行事を営んでいたのである。 天保4年(183...
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