京都 都の西北に 鳴滝なるたきなる村あったとさ
砂底 浅く石 多く――そこを清すがしき水 流る
小さな橋のあるあたり かまどの煙が立ち昇り
多くの家が茅葺きの 軒を接して建っている
この里村を心から 愛した人がかつて住み
出自を隠して自分から 我「陶隠士」と名乗ってた
始興は近衛家煕(予楽院)との関係が深く、御用絵師と考えられる「家士」であったと伝えられてきました。したがって僕は、元文元年 1736 に没した家煕の霊前に始興が捧げた鎮魂の一作だったのではないかと さえ 想像したのです。事実『光琳派画集』の解説も、 始興が 主家 近衛家 のた...
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