江戸時代後期の京都を代表する陶工にして画家である文人・木米もくべいは、京都祇園の茶屋「木屋きや」に生まれ、俗称を「八十八やそはち」といいます。木屋あるいは氏の「青木」の「木」と、八十八を縮めた「米」にちなんで「木米」と名乗りました。また、中年耳を聾したことに由来する「聾米ろうべい」のほか、「龍米」「九々鱗」「青来せいらい」「百六山人」「古器観」などの号があります。
木米は、三十代で中国の陶磁専門書『陶説』に出会い、これを翻刻しつつ本格的に陶業に打ち込みました。その作品は、優れた煎茶器から茶陶まで、多岐にわたります。熱心な古陶磁研究を土台に広い視野をもち、古今東西の古陶磁の美を、因習を超えて結びつけ新しい美を開いていく創造性が木米のやきものにはあらわれています。
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