いや、晶子の方が自分よりずっと才能に恵まれていることを、鉄幹は最初から見抜いていました。だからこそ、鉄幹は晶子に接近したのでしょう。その意味で、鉄幹はすぐれた教育者でした。研究教育においても、教え子の才能を発見し、認め、褒めてやることが何よりも重要だと思います。
ヤジ「オマエは発見しすぎ、認めすぎ、褒めすぎじゃ~ないの!?」
渡辺淳一は、晶子が晩年狭心症で倒れたとき、鉄幹が詠んだきわめて印象深い一首を、著書『君も雛罌粟こくりこわれも雛罌粟 与謝野鉄幹・晶子夫妻の生涯』(文藝春秋 1996年)に引いています。
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