2022年6月1日水曜日

追悼ステファン・アディス先生3

 

そして3年後、19863月~4月の2ヶ月間、先生はカンサス大学のゲストとして僕を招いてくださいました。先生はケンタッキー通りの洒落たアパートメントを確保してくださり、そこから毎日大学へ自転車で通いました。

アパートメントにはキッチンがついていましたから、たいてい夕食は僕でも簡単にできるアメリカンビーフのステーキでした。スーパーで買ってきた1パウンドの肉――アメリカ人なら一食分を、3回に分けて食べていました。

そのステーキを肴に、毎晩一杯やりました。近くのリカーショップで仕入れてきたテネシー・ウィスキー、つまりバーボンの「ジャック・ダニエル」黒ラベルが定番でした。ショップの人はそれを「ブラック・ジャック」と呼んでいました。

0 件のコメント:

コメントを投稿

根津美術館「唐絵」7

  そのころ日本の禅僧がたくさん元に渡りましたし、長くかの地に留まり、中国文化を持ち帰った場合も大変多いのです。 流行する題画詩も彼らによって日本へもたらされた可能性が高いという指摘は、正鵠を射るものです。(略) このような島田修二郎先生の名論文を読むと、詩画軸こそ詩画一致で...