そして3年後、1986年3月~4月の2ヶ月間、先生はカンサス大学のゲストとして僕を招いてくださいました。先生はケンタッキー通りの洒落たアパートメントを確保してくださり、そこから毎日大学へ自転車で通いました。
アパートメントにはキッチンがついていましたから、たいてい夕食は僕でも簡単にできるアメリカンビーフのステーキでした。スーパーで買ってきた1パウンドの肉――アメリカ人なら一食分を、3回に分けて食べていました。
そのステーキを肴に、毎晩一杯やりました。近くのリカーショップで仕入れてきたテネシー・ウィスキー、つまりバーボンの「ジャック・ダニエル」黒ラベルが定番でした。ショップの人はそれを「ブラック・ジャック」と呼んでいました。
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