そのサンクチュアリのなかにおける創造には、国家を挙げての戦争といえども、チョッカイを出すことができなかったのだと思います。すでにお母さんは亡くなっていましたが、その聖域は松園の心のなかで守られていました。松園といえども、戦争のことが気がかりではあったと思いますが、それが聖域へ入り込んでくることは許さなかったのです。
だからこそ、松園にとって母は絶対的存在でした。もちろんそれは母への愛情や感謝に発したものでしたが、それに止まらなかったように感じられてなりません。『青眉抄』のかで、松園は次のように語っているのです。
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