2020年3月19日木曜日

六田知弘『仏宇宙』6



曇曜五窟といわれる第16窟から第20窟は、ゆっくりと歩を進めながら拝見していきました。前壁が崩れ落ちて、露坐となっている第20窟の印象はやはり強烈でした。ぶっちゃけていえば、「僕の一点」に選んだ第18窟と、ほかの窟との区別も今やおぼろげになっているのですが、大きな心の高まりだけは鮮明に覚えています。

書庫から旅日記を引っ張り出してきて開くと、「曇曜五窟は460年の開鑿、日本への仏教公伝以前に、こんなすごいものを鮮卑族は造っていたのだ!」なんて書いてあります。「飛鳥仏への影響は確かにあるが、やはりかなり違っている」などと、仏教美術専門家みたいな印象も述べられています()

その日の午後は懸空寺[けくうじ]にお参りしましたが、白タクならぬ白バイクに乗ったことなども、懐かしく思い出されます。やはりあのころは俺も若かったなぁ!!() 

0 件のコメント:

コメントを投稿

根津美術館「唐絵」5

とくに応永年間、熱狂的 に愛好されたので、応永詩画軸 などと呼ばれることもあります。 詩画軸のことを勉強するときには、必ず『禅林画賛   中世水墨画を読む』 ( 毎日新聞社 ) という本を手元に置かなければなりません。そして監修者である島田修二郎先生の論文「室町時代の詩画軸につい...