曇曜五窟といわれる第16窟から第20窟は、ゆっくりと歩を進めながら拝見していきました。前壁が崩れ落ちて、露坐となっている第20窟の印象はやはり強烈でした。ぶっちゃけていえば、「僕の一点」に選んだ第18窟と、ほかの窟との区別も今やおぼろげになっているのですが、大きな心の高まりだけは鮮明に覚えています。
書庫から旅日記を引っ張り出してきて開くと、「曇曜五窟は460年の開鑿、日本への仏教公伝以前に、こんなすごいものを鮮卑族は造っていたのだ!」なんて書いてあります。「飛鳥仏への影響は確かにあるが、やはりかなり違っている」などと、仏教美術専門家みたいな印象も述べられています(笑)
その日の午後は懸空寺[けくうじ]にお参りしましたが、白タクならぬ白バイクに乗ったことなども、懐かしく思い出されます。やはりあのころは俺も若かったなぁ!!(笑)
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