100万アクセスを突破しました❣❣❣皆さんありがとうございました❣❣❣

2019年3月17日日曜日

國華特輯号「屏風絵新考」2


しかし、後漢から三国時代の画像石には、鍵型や人物を取り囲むように立てられる障屏具があらわれる。これこそ屏風のプロトタイプだといってよいであろう。その後、中原の地で屏風という形式が確立したことは、唐時代の長安、いまの西安に遺る韋家墓の「樹下美人図壁画」からある程度想像できるが、その実態となると、これまた闇に包まれている。

いずれにせよ、中国で誕生した屏風が、朝鮮を通して我が国へもたらされたのは、白鳳時代のことであった。『日本書紀』天武天皇の朱鳥元年(六八六)四月十九日の記事は、よく知られるところである。その日、新羅の奉る調が筑紫から貢上されたのだが、これとは別に智祥・健勲らが献上した金・銀・霞錦[かすみにしき]・綾羅[あやうすはた]・金の器・鞍の皮・絹布・薬物など六十余種のうちに、屏風が見出されるのである。

0 件のコメント:

コメントを投稿

荻生徂徠の賛酒詩がスゴクいい❣❣❣ 『荻生徂徠全詩』3<東洋文庫>饒舌館長ベストテン 7

  荻生徂徠「美人 酒に中る」  かの 楊貴妃を玄宗は 艶めく仙女と惚れたけど  この酔態を見たならば さらにお熱を上げただろう  ちゃんと黒髪 整えりゃ きっと眠りの 足りてない  海棠みたいに妖艶に なると言うのはどこのバカ ? *この一首は注解を読んでもチョッと難解ですが、...