また、こんな話もある。蘇州で知事をしていた友人の劉攽[りゅうはん]に招待され、州の役所に出かけたときのことである。庭にずらりと居並ぶきれいどころを見た安石は顔色を変え、席に着こうとしない。あわてた劉攽が妓女たちを引き取らせ、「車と舟は焼きました」と言ったので、やっと安石は機嫌を直したというのである。友人の心尽くしも安石には通じなかったわけである。
なお、この劉攽は長安の妓女と浮き名を流したこともあった。当時の士大夫としては、むしろそのほうが普通なのだった。
とくに応永年間、熱狂的 に愛好されたので、応永詩画軸 などと呼ばれることもあります。 詩画軸のことを勉強するときには、必ず『禅林画賛 中世水墨画を読む』 ( 毎日新聞社 ) という本を手元に置かなければなりません。そして監修者である島田修二郎先生の論文「室町時代の詩画軸につい...
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