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2018年1月31日水曜日

静嘉堂文庫美術館「歌川国貞展」10


また、美人そのものを描くのではなく、鏡に映った美人の姿を描くという、国貞の「今風化粧鏡」のマニエラは、初代豊国が大変強い影響を受けた喜多川歌麿に求められます。歌麿の「姿見七人化粧」がそれです。国貞はこの歌麿画を見て、「今風化粧鏡」のヒントを得たにちがいありません。

このほかにも、国貞は歌麿からとても大きなインスピレーションを与えられています。たとえば、「江戸自慢 五百羅漢施餓鬼」に見られる、蚊帳を通して人間をみるという手法は、早くから歌麿が愛用するところでした。初代豊国を中心として、たくさんのマニエラが国貞の前には用意されていたのです。そのようなマニエラを使いながら、独自の浮世絵世界を創り出した国貞は、傑出したマニエリスムの画家でした。

しかし実は、国貞だけでなく、19世紀に活躍するすぐれた浮世絵師は、ひとしなみにマニエリストだったのです。そのようなマニエリスムは、葛飾北斎にも、歌川広重にも看取されます。しかし新しい風景版画よりも、長い伝統を誇る美人画や役者絵の方に、より一層顕著にうかがわれるのは、不思議でも何でもありません。しかし、こんな国貞マニエリスム論を臆面もなくやっていると、どこからかお叱りの声が飛んできそうな気がします。

「お前は何でもかんでも、日本の19世紀美術はマニエリスムだと繰り返し吠えているが、それこそマンネリズムだ!!


2018年1月30日火曜日

静嘉堂文庫美術館「歌川国貞展」9


屏風の陰にいる客と艶やかな夢を見た遊女は、緋鹿の子の長襦袢を羽織って立ち上がり、行灯の灯心をかきたてています。行灯の上部から漏れる光は、遊女の顔を浮き上がらせながら、放射状に広がっていきます。それが巧みな雑巾ぼかしによって、表現されていますが、このマニエラは、初代豊国の「風流七小町略姿絵」シリーズの「かよひこまち」に求められます。

二人の美人が棒の先につるした提灯をもって夜道を歩くシーンで、その提灯から漏れる光が、国貞の「行灯」と同じように、雑巾ぼかしで表現されているからです。明らかに国貞は、この初代豊国の作品をマニエラとして使っているんです。

もちろん、国貞がより一層エロティックな雰囲気を強め、遊女の饐えたような体臭まで漂わせて、独自の世界を創り出していることは、いうまでもありません。しかし、初代豊国の「かよひこまち」がマニエラとなっていることは、否定できないことのように思われます。あるいは、これと異なるマニエラがあった可能性も残りますが、マニエラが存在したという事実を否定することはむずかしいでしょう。


2018年1月29日月曜日

静嘉堂文庫美術館「歌川国貞展」8


もちろん、このような西洋美術史の様式を用いて、それとの共通性を求めようとするときは、多くの陥穽が待ち構えています。西洋の概念を、安易に東洋に当てはめるべきではないという警告も発せられています。そもそも、そんな実証には何の意味のないという醒めた意見もあります。

しかし、物事の類縁性を探すことは、区別や分類とともに精神的快楽であり、人間が大昔からやってきたことなのです。そして表面的な、あるいは現象的な相似性の背後に、影響関係や共通原理が見出されるとすれば、そこには重大な意味が存在することになります。実を言うと、ヨーロッパにおけるマニエリスム論の展開は、このような類縁性発見の旅だったように思われるのです。

国貞にとって最良のマニエラは師であった初代豊国でした。すべてのマニエラは、初代豊国が用意してくれていたのです。ところで、国貞最高の美人画として人口に膾炙するのは、「星の霜当世風俗」シリーズの「行灯」です。


2018年1月28日日曜日

静嘉堂文庫美術館「歌川国貞展」7


これは美術史学者による様式的解釈ですが、グスタフ・ルネ・ホッケは著書『迷宮としての世界 マニエリスム美術』(岩波文庫 2011年)において、人間が広く有する非合理なものに対する意識下の誘惑を重視しています。これらを知るとき、歌川国貞の芸術がマニエリスム的な性格を秘めていることに、改めて驚くのは私一人ではないでしょう。

国貞芸術がきわめて個性的であることは否定できません。しかし個性的だけなら、国貞をマニエリスムと呼ぶことはできません。

先の若桑みどり先生が、著書『マニエリスム芸術論』(ちくま学芸文庫 1994年)のなかで、「既成の『カノン』を下じきにしていない芸術、自然発生的にひとつの個性から流れ出した芸術は、決してこれをマニエリスムとは呼ばない」と指摘しているように……。いずれにせよ、僕は国貞のすべてを個性と直結させる個性偏重史観から少し距離をおきたいのです。

2018年1月27日土曜日

静嘉堂文庫美術館「歌川国貞展」6


手法や様式、あるいは作風を意味するイタリア語「マニエラ」に由来します。20世紀はじめまでは、古典主義芸術の形式的模倣と否定的に見なされることが多かったのです。しかし第一次世界大戦のころから、盛期ルネッサンス様式からは独立した別種の新様式として、積極的に評価されるようになったそうです。

もともとの語源は同じですが、ある手法や形式をそのまま繰り返して用い、型にしばられて創造性を失うことを指す英語のマンネリズムと間違わないでほしいと思います。

 アーノルド・ハウザー著『マニエリスム』(岩崎美術社 1968年)に付された若桑みどり先生のマニエリスム研究史によれば、マニエリスムに関しては百家争鳴、その解釈や見方もじつにたくさんあるようです。

しかし僕がもっとも共感を覚えるのは、ヴァルター・フリートレンダーの説です。その著書『マニエリスムの成立と展開』(岩崎美術社 1973年)によれば、あまりにも完璧な古典主義様式に対するアンチテーゼとして、おもにイタリアで風靡した反古典主義的様式ということになるでしょう。

2018年1月26日金曜日

静嘉堂文庫美術館「歌川国貞展」5

 20日(土)夕方からは、ブロガー内覧会を企画しました。ゲストは太田記念浮世絵美術館の日野原健司さん、司会役は「青い日記帳」でお馴染みのカリスマブロガー・中村剛士さんです。中村さんは数日まえ左肩を脱臼したとのことで、白い包帯と固定バンドも痛々しく、しかし饒舌館長の頼みは断れませんよと言いたげな感じで駆けつけてくれました。

もちろん成沢さんも加わって、1時間ほどのトークショーが始まりました。参加してくれたブロガーは55名もの方々でしたが、今やすべて「饒舌館長」のライバルです(!?)

国貞は幕末マニエリスムを代表する浮世絵師である――これが私見です。マニエリスムとは、1520年ころからほぼ一世紀のあいだ、ヨーロッパで流行した芸術様式です。盛期ルネッサンスで完成の域に達した古典主義芸術を継承しつつ、それとは異なる新しい表現を志向したのです。おもに絵画において顕著でしたが、建築や彫刻においても垣間見ることができます。

2018年1月25日木曜日

静嘉堂文庫美術館「歌川国貞展」4


現在では、豊重を二代とし、国貞は三代豊国としています。これから、元治元年(1886)79歳で没するまでが、三代豊国時代となります。つまり、デビュー時代2年、五渡亭時代時代20年、偽紫時代15年、三代豊国時代20年となります。これを覚えておけば、国貞のクロノロジーはとても理解しやすくなるでしょう。

19日(金)夕方からプレス内覧会を開きました。34名もの方々にご参加いただき、大きな手ごたえを感じながら、担当学芸員・成沢麻子さんのギャラリー・トークを一緒に聴きました。

20日(土)は午前中、せたがや3館めぐるーぷの出発式に出席いたしました。五島美術館、世田谷美術館、わが静嘉堂文庫美術館の3館を巡る新ルートを、今日から東急バスが走ることになったのです。申し訳なきことながら、有料なのですが、3館が開館している土曜・休日に走りますので、ぜひご利用いただきたく存じます。

出発式で挨拶を求められた僕は、この「めぐるーぷ」には、「めぐる」と「ぐるーぷ」と「るーぷ」という3つの関連語が入っている――とても素晴らしい名称であり、これだけでも新ルートの成功は間違いなしであると述べて、祝辞としました。平賀源内が回すと蚊が取れる機械につけたという「マースト・カートル」より、ぐっといい名称だといって笑いを取ろうとしたのですが、皆さんまったく笑ってくれませんでした(笑)

荻生徂徠の賛酒詩がスゴクいい❣❣❣ 『荻生徂徠全詩』3<東洋文庫>饒舌館長ベストテン 8

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