私の異国趣味は穉おさない時既にわが手の中に操られた。菱形の西洋凧を飛ばし、朱色の面(朱色人面の凧、Tonka Johnのもってゐたのは直径一間半ほどあった。)を裸の酒屋男七八人に揚げさせ、瀝青チャンを作り、幻灯を映し、さうして和蘭訛の小歌を歌った。
私はまたいろいろの小さなびいどろ罎びんに薄荷や肉桂水を入れて吸って歩いた。また濃い液は白紙に垂らし、柔かに揉んで湿した上その端々を小さく引き裂いては唇にあてた。さうして私の行くところにはたよりない幼児の涙をそそるやうに、強い強い肉桂の香が何時でも付き纏ふて離れなかった。(略)
Tonka Johnの部屋にはまた生まれた以前から旧い油絵の大額が煤すすけきったまま土蔵づくりの鉄格子窓から薄い光線を受けて、柔かにものの吐息のなかに沈黙してゐた、その絵は白いホテルや、瀟洒な外輪船の駛はしってゐる異国の港の風景で、赤い断層面のかげをゆく和蘭人に一人が新らしいキヤベツ畑の垣根に腰をかがめて放尿してゐるおっとりとした懐かしい風俗を画いたものであった。私はそのかげで毎夜美しい姉上や肥満ふとった気の軽るい乳母と一緒に眠るのが常であった。
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