たとえばここに忠孝という事がある。忠孝という名目はもちろんシナより輸入した語であるが、忠孝という事実は元来日本国民が十分に具えていて、自分が所有せるものにシナから輸入した名目を応用したものということに解釈しようとする傾きがある。しかしながらこれを根本より考えてみると、すでに国民がもっておった徳行の事実があり、しかしてまた他方に固有の国語がある以上、なにかその事実に相当した名目がなければならぬはずである。 ここに数を算えるにも日本人は今日ではシナより輸入した文字なり、音なりで一、二、三、四というごとき語を使用するが、しかし現にその輸入語のほかに固有の国語である一つ二つ三つ四つというものをもっている。(略)
2024年12月30日月曜日
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東京美術『日本視覚文化用語辞典』2
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