この事実を僕は大変興味深く感じるのです。飛鳥時代の木彫像がすべてクス材だからです。この時代を代表する法隆寺金堂の「四天王立像」も夢殿の「救世観音像」も大宝蔵院の「百済観音像」もクス材でできています。
ところが、この時代の仏教彫刻に決定的影響を与えた槿域――僕が好んで用いる朝鮮の雅称――では、むしろ松を使ったように思われます。例えば、同じくこの時代を代表する広隆寺の「弥勒菩薩半跏像」は赤松で作られていますが、これは槿域で作られ、我が国にもたらされたと推定されているのです。
この時代における槿域の木像は、これを除いて残っていませんが、もし松材が中心であったとすると、なぜ日本ではクスになったのでしょうか? それはクスが神の依り代であったからではないでしょうか。
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