しかし、残っている写真から見ると、光琳の直筆であることは疑いないであろう。しかも、西本願寺が登場する点で非常に興味深い。光琳が夢のなかで西本願寺を訪れることになったのは、しばしば訪ねていたためであったにちがいない。
光琳程度の技量では、現在国宝となっているような能舞台で演じることはできなかったかもしれないが、少なくとも、鑑賞に出かけていたことは、先の『二条家内々御番所日次記』の記事が語ってくれているのである。
最後に、山種美術館「桜 さくら SAKURA 2025 美術館でお花見!」展のチラシに刷られたコピーを紹介することにしましょう。そこにある「はらはらと散っていく儚 はかな さ」は、新渡戸稲造にならって言えば薔薇に欠けている美しさです。 暖かな陽光がさし始める春。草花が芽...
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