2023年6月21日水曜日

太田記念美術館「ポール・ジャクレー」8

多くのジャポニザンが我が国へやってきましたが、日本へ骨を埋めた人はけっして多くありません。ジャクレーが3歳のときお母さんと一緒に日本へやってきたのは、お父さんが東京高等商業学校と、その付属外国語学校のフランス語教官になったという偶然の賜物でした。ジャクレーみずからの意思で日本へやってきたわけではありませんでしたが、やがて日本が大好きになっていったんです。

太平洋戦争が起こると、外国人であるジャクレーは憲兵に監視され、不自由な生活を強いられました。1945年、自分にけっしてやさしくはなかった日本が連合軍に敗北を喫したとき、フランスに帰ろうとすれば容易にそうすることができたでしょう。

 

0 件のコメント:

コメントを投稿

根津美術館「唐絵」5

とくに応永年間、熱狂的 に愛好されたので、応永詩画軸 などと呼ばれることもあります。 詩画軸のことを勉強するときには、必ず『禅林画賛   中世水墨画を読む』 ( 毎日新聞社 ) という本を手元に置かなければなりません。そして監修者である島田修二郎先生の論文「室町時代の詩画軸につい...