彫師たちは私自身よりも偉大な芸術家であり、画家と同じように、技術の伝統を受け継いだ家系の出身である。……多色木版画は音楽のようなものだ。画家、彫師、摺師の間のハーモニーがなければ、すばらしい絵を作り出すことができない。
僕がジャクレーを究極のジャポニスムというのは、以上の意味なんです。箇条書きにすれば、①日本を含めた外国に強いあこがれをもっていた、②実際に日本で創作しそこで一生を終えた、③浮世絵の伝統的な彫り、摺りの技法を直接的に摂取したという3か条になります。
沢田章『日本画家辞典』によると、 吉澤雪庵は 父を鎮之進といい、江戸の人、文政 2年(1819)3月28日に生まれ、明治22年(1889)に71歳で没しました。画法を遠坂文雍に学び、よく山水花鳥を描いたとあります。 ちなみに明治22年は、『國華』が創刊された年です!!...
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