とはいえ興味深いのは、斎藤月岑が編集した『武江年表』の記事です。弘化4年の条をみると、「3月3日より、西新井弘法大師開帳」と書いてあるじゃ~ありませんか。もともとは大絵馬であったとも推定されている「弘法大師修法図」も、このとき広くお披露目されたのではないかといった想像もわいてきます。
弘法大師が大きな経巻を捧げ持ちながら、左側から襲いかかろうとする痘瘡の大きな赤鬼を調伏しようとしています。しかしなぜここに、右側の木にまとわりつくような犬が登場するのでしょうか?
上奏文を宮殿の 天子へ 朝 あした に 奉りゃ 夕べに遠路も八千里 ある潮州 ちょうしゅう へ流された 聖天子のため悪弊を 取り除こうとしただけで 老いさらばえたこの身ゆえ 長生きしたい ―― とは露も…… 秦嶺 しんれい 山脈 雲の中...
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