それは松園にとって、絵画が神聖にして犯すべからざる芸術だったからだと思います。絶対に侵されてはならない、聖域だったといってもよいでしょう。もっともこれは、真にすぐれた画家にとって、当たり前のことだったかもしれません。
しかし松園の場合、このサンクチュアリ形成にあたって、お母さんの仲さんの役割がとても大きかったように思います。これが美人画という画題選択とも関係しているのではないでしょうか。たいていオトコが起こす戦争画を描かなかった理由かもしれません。
松園のお母さんは、わが子の美人画を誰よりも高く評価し――というよりも、ほとんど絶対的な芸術として世俗から守っていたからです。お母さんにそのような芸術至上主義的認識があったかどうか分かりませんが、松園に対する揺るぎなき信頼があったことは疑いありません。
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