つまり、銭湯で裸を見られるのは恥ずかしいことではないという、あとから学習したことは、数十年の間にすっかり忘れ去られて、その前に学んだ人前で裸になるのは恥ずかしいことだという感情に支配されることになるのでしょう。
たとえ赤ん坊のときから銭湯だったとしても、数十年間行かないうちに、銭湯では裸が当たり前だという感情が薄れ、裸は恥ずかしいものだという感情がその部分を侵食していくのではないでしょうか。しかも銭湯に一度も行かない数十年の間、裸は恥ずかしいものだという感情を毎日毎日学習し続けるわけです。
頼山陽「猫を 獲るを 喜ぶ」 真っ暗なのをよいことに チューチュー騒ぐネズミども 眠り に就いても十回も 起こされどうにもなりません 貴兄に礼を尽しつつ ネコが欲しいと頼んだら みごとなネコをくれたので 天にも昇る心地せり 体 に 全...
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