つまり、銭湯で裸を見られるのは恥ずかしいことではないという、あとから学習したことは、数十年の間にすっかり忘れ去られて、その前に学んだ人前で裸になるのは恥ずかしいことだという感情に支配されることになるのでしょう。
たとえ赤ん坊のときから銭湯だったとしても、数十年間行かないうちに、銭湯では裸が当たり前だという感情が薄れ、裸は恥ずかしいものだという感情がその部分を侵食していくのではないでしょうか。しかも銭湯に一度も行かない数十年の間、裸は恥ずかしいものだという感情を毎日毎日学習し続けるわけです。
もちろん異時同図法は絵金が考え出した構図法ではありません。もっとも有名なのは「玉虫厨子」(法隆寺蔵)の「捨身飼虎図」や、「伴大納言絵詞」(出光美術館蔵)――伴大納言の出納の子と、隣に住む右兵衛の舎人の子がケンカをしている場面ですね。一幅のなかに四季の草花を描きこんだ草花図も一種の...
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