もちろん僕も拝読していましたから、はじめてお会いしたのに、もうずっと前から存じ上げているような不思議な気分でした。桐田さんからコピーしてもらった千早耿一郎著『おれはろくろのまわるまま――評伝・川喜田半泥子』の一節を、引用しておきましょう。
国学者で茶道の著書もいくつか書いている松山吟松庵(1870~1942)を、はじめて千葉県房州の保田吉浜に半泥子が訪ねたのは、1937年(昭和12)のこと。その吟松庵が二年後の1939年に病床にいたとき、半泥子は見舞いの手紙を送り、自作の茶碗を贈ることを約した。その手紙を見て、吟松庵は「茶盌早く見たし」と言ってきた。そこで半泥子は、その茶碗に「磯鰈」[いそがれい]の銘をつけて送った。むろん「急がれ」の洒落である。
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