2017年9月6日水曜日

川喜田半泥子『随筆 泥仏堂日録』2



伊勢商人・川喜田久太夫家の16代目として大阪に生まれた半泥子は、25歳にして百五銀行に取締役として入行します。その後、津市議会議員、三重県議会議員をはじめ、たくさんの企業の要職をつとめ、政財界で活躍、41歳の時には、百五銀行頭取に就任します。40初めにして、すでに功成り名を遂げ、経済的にもきわめて恵まれた環境を手にしたわけですね。

陶芸は若いころから興味を持っていましたが、30代半ばから、津南郊の千歳山で作陶を始め、ついに56歳の時、みずから設計した登り窯を築き、轆轤場「泥仏堂」を開くに至るのです。しかし半泥子は、あくまでシロウトであることを自認していたのです。森孝一氏の解説によると、半泥子の作品数は3万とも、それ以上ともいわれていますが、少なくともその大半を占める茶碗は、売ったことがないといわれているそうです。

 半泥子の文章は実に愉快にして爽快です。歯に衣着せず、当たるを幸いなぎ倒し、バッタバッタと切り倒していく感じです。とても僕などに真似のできる芸当ではありません。

0 件のコメント:

コメントを投稿

山種美術館「桜さくらSAKURA2025」7

今回は奥村土牛の傑作「醍醐」がポスターのメインイメージに選ばれ、目玉にもなっているので、とくに土牛芸術に力を入れてしゃべりました。もちろん大好きな画家でもあるからです。 遅咲きの画家といわれる土牛は、一歩一歩着実に独自の土牛様式を創り上げていきました。人の真似できない真なる創造的...