そこに描かれた、あるいは雑誌の口絵に摺りだされた女性と、実際に会ってみたいなぁ、話がしてみたいなぁ、一つ屋根の下に住んでみたいなぁという、強いあこがれがわきおこってきたのです。やはり清方美人を、一人の女性として感じてしまったのです。普通こういう感情をエロティシズムと呼ぶのだと思って、『新潮世界美術辞典』にこの項を求めてみると、次のように書かれていました。
肉体的愛欲にかかわる過度の嗜好、あるいは作品の官能的情欲を誘う性質を意味する。語源のエロースはギリシア神話の恋愛の神であるところから、男女間の恋愛にかかわる官能の表現を基本とする。
しかし、これがエロティシズムだとすると、僕が清方美人に抱いた感情とは、かなり違っているように思われました。けっして、愛欲とか、官能とか、情欲を感じたわけじゃないんです。かの名作「ためさるゝ日」の右幅が展示されていましたが、描かれている女性は長崎の遊女だと思います。その遊女さえきわめて優美にして清楚、エロティシズムからは遠い位置にいます。
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