2024年11月4日月曜日

追悼 高階秀爾先生3

 

その引き出しの中身が、引き出しを飛び出して渾然一体となり、知の有機体を形作っていることでした。引き出しのように見えたのは、僕らの眼が旧態依然とした学問の枠組みに規制されていたからでした。小さな箪笥の引き出しなんかじゃなく、有機体としての知が、一つの大きなクローゼットに入っていたんです。

そのような超人的仕事のなかから選ばせていただく「僕の一点」は、『日本近代美術史論』ですね。先生は参画された雑誌『季刊藝術』の創刊号(1967年)から10号まで連載した論文を単行本(1971年)にまとめられましたが、これが講談社文庫(1980年)に収められ、その後講談社学術文庫(1990年)となりました。

僕は単行本を所蔵していましたが、先生から講談社学術文庫版を頂戴したので、以後はもっぱらこれを使わせてもらっています。文庫版以後における重要な研究を加筆した「補注」も、きわめて有益だからです。



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追悼 高階秀爾先生5

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