しかし、遠く江戸を離れた三宅島において描かれた事実の方が重要ではないでしょうか。3作品とも百万都市になろうとしていた江戸おける、かつての華やかな生活を思い出すようにして描かれた島一蝶作品なのです。それは現実の風俗ではなく、時世粧でもなく、一蝶の胸底で浄化された江戸という都市でした。
以前の楽しい生活を思い出して再現しようとすればするほど、絶海の孤島ともいうべき三宅島にいる自分が強く意識されるはずです。諦観の反映だといえば言いすぎだとしても、人々の湧き上がるエネルギーに真率なる共感を寄せ、その造形化を明日への活力源にしようという積極的表現意欲が希薄なのです。あまり上質とはいえない顔料がそれに寄り添うこともあります。
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