一般的に、これらは西欧絵画の様式的摂取、あるいは影響といった美術史的観点から指摘されるところですが、それに止まるものではありませんでした。美術の問題を超えて、どうしても<近代>の表象が必要だったのです。
その意味で、第1図である「天照大神」の構図が高橋由一の「栗子山隧道」とよく似ていることは、とても興味深く感じられます。近代的科学技術を駆使して完成させるトンネルこそ、きわめて近代的な装置であり、近代のシンボルでもあったからです。
もっとも、「栗子山隧道」は明治18年の作品ですが、西洞門を描いた作品は早く明治14年に完成していたのですから、「栗子山隧道」だけにこだわる必要はないでしょう。重要なのは、トンネルが近代の表象だったことです。「栗子山隧道」は芳年によって先取されているーーなんて言ったら言い過ぎかな?
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