人情と責任感と二つのもつれに私も苦しんだ。その結果、窮余の一策、やむなくばこれ以後の字母は誰かお弟子中のすぐれた人に書かせて下さいと申し入れたが、石井さんはがんとしてきかない。
自分が引き受けたのだから自分でやると、ついに最後まで人手には任さなかった。多分病を押してのことも多かったであろう。私はその時、その責任感の深さと友情の厚さに深く感激した。おかげによって大漢和辞典は整斉にして雅味ある石井式の細明朝体の文字をもって内容を飾ることができたのである。
伊勢地方では、昔松阪町殿町に住んでいた徳川紀州藩士、継松栄治がカワラナデシコ(カラナデシコの誤り?)を栽培していたところ、偶然花弁の長い変種が発現した。これを改良したのが伊勢撫子のはじめと主張する 人 もある。 嵐冠十郎が持ち上げているのは イセナデシコ じゃ ~ ありま...
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