2019年3月6日水曜日

追悼ドナルド・キーン先生 6


ドナルド・キーン先生ご逝去の報に接し、さまざまな思い出がよみがえるとともに、書架から『日本文学散歩』(朝日選書 1975)を引っ張り出してきて、はじめて読んだ時もっとも強い印象を受けた「大沼枕山」の章を再読しながら、先生をしのびました。枕山は幕末明治に活躍した漢詩人、その生き方については、キーン先生をそのまま――篠田一士先生の訳によって引用しておきましょう。

枕山は明治維新のもたらした変化を余りにも慨嘆したので、明治十一年にいたるまで彼の町を江戸と呼び続けた。またその悲しみを酒にまぎらした。門人のひとりは、枕山が死ぬまで盃と縁を切らなかったと書いている。晩年、彼は、もう誰も着ない服装をして、まだ髷を結んでいたために人から嘲られる、滑稽な風采の人となった。明治二十四年、七十三歳で病んだ時は、薬を拒み、もう十分に生きたと言った。その通りだった。彼は彼の時代より長生きをし過ぎたので、彼の周囲の世界は悲しくも堕落したようにみえたのだ。知識階級の武士の用語だった漢詩で書かれた彼の詩は、伝統的漢詩には稀な鋭い観察に満ちている。それは今もって面白く、また新しい日本の最初の瞥見をわれわれに与えてくれるのである。

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