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2018年10月12日金曜日

出光美術館「仙厓礼讃」5


したがって我々は、この世界には初めから目に見え、具体的なものが存在したかのように考えるようになる。あたかも、形がなく、捉えどころがないにもかかわらず、目に見え、認識できる銀河みたいに……。

これこそいま我々があらゆるものとともに生きている宇宙の本質であるが、それは無限であり多種多様なのだ。このようにして、やがて時間こそが具体的で目に見えるもの(の根源である)と認識されはじめる。○は△にになり、やがて□になり、遂には限りなく変化に富み、また変化し続ける形となる。

同じような考え方によって、創造に関するキリスト教的言説が、多くの人びとにとっての歴史的真実となる。しかし禅は、このようにみてきたがごとき言説に、絶対反対の立場をとるのである。

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