2017年7月21日金曜日

静嘉堂「曜変天目」諸説3



しかし、曜変天目が窯を出てすぐさま消されてしまったのならば、なぜ日本に伝わってきたのかという疑問が起こります。これに対して彭丹さんは、『清波雑志』という本に登場する仲檝[ちゅうしゅう]という老人に注目します。

徽宗皇帝の大観年間、景徳鎮窯で釉薬が辰砂のごとく真っ赤になってしまった窯変が発生したとき、陶工はそれをすぐ壊そうとしましたが、仲檝がいくつかを持ち出し、人々に「定州窯の紅磁よりも鮮やかだ」と誇って見せたというのです。窯変は不吉なものだという世間一般の見方にとらわれない仲檝のような人間が、天目茶碗を焼く南宋時代の建窯にもいたにちがいないと、彭丹さんは推測しているのです。

窯変という不完全な陶磁器に対する中国人の強い忌避感は、僕もアップしたとおりですが、それを天の思想と結び付けたところが彭丹さんのすばらしいアイディアです。

 

0 件のコメント:

コメントを投稿

根津美術館「唐絵」5

とくに応永年間、熱狂的 に愛好されたので、応永詩画軸 などと呼ばれることもあります。 詩画軸のことを勉強するときには、必ず『禅林画賛   中世水墨画を読む』 ( 毎日新聞社 ) という本を手元に置かなければなりません。そして監修者である島田修二郎先生の論文「室町時代の詩画軸につい...