2025年2月18日火曜日

『芸術と社会』12

 

いかにもブルクハルト的な修辞に彩られ、僕にはちょっとペダンティックに感じられる文章の行間を読んでいくと、ブルクハルトの真意は、むしろオスカー・ワイルドを先取りしたような「国家は芸術を模倣する」ことにあったのかも知れません。しかし僕は、美術史家による社会学的芸術学の嚆矢に位置づけたい誘惑に駆られるのです。『イタリア・ルネサンスの文化』の初版が出版されたのは1860年、日本でいえば桜田門外の変が起こった万延元年だったというのが驚きです。

このあと欧米において、美術史家による社会学的芸術学がどのような発展を遂げたのかよく知りませんが、注意しなければならないのは、「社会」という語が研究者によってまったく異なる点です。


0 件のコメント:

コメントを投稿

『漢詩花ごよみ』春9

  款冬花(蕗の薹 ふきのとう )――中唐・張籍「賈島に逢う」 遊楽原の青龍寺 たまたま見つけたフキノトウ   寺 出て漢詩を口ずさみ 歩めば沈む夕日かげ   都大路を一面に 白く染めたり名残り雪   馬蹄 ばてい パカパカここを去り どっかの飲み屋に繰り込もう ...