詳細は本書をお読みいただくとして、摂津麻田藩が財政的に困窮し、伊予宇和島藩から養子を迎えるに際し、持参金を当てにしていたことを教えてくれます。当てにしているなんてものじゃ~ありません。一銭でも多く取ろうとして、懸命になっているんです。摂津麻田藩の窮状に対する同情を通り越して、まるでドタバタ喜劇を見ているようなおもしろさです。
おそらく田原藩も同じだったのでしょうが、麻田藩の場合には、本当に男子の跡継ぎがいなかったんです。持参金付き養子は珍しくなかったのでしょうが、田原藩においては持参金だけが目的だったように感じられてなりません。崋山が強硬に反対し、友信擁立派の先頭に立ったのは、やはりあまりにもミエミエだったからでもありましょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿