この三宅友信のお母さんが、11代藩主康友の側室であったお銀さまでした。お銀さまは友信を生んで1年ほど経つと、故郷である厚木の早川村に帰っていきました。それから4半世紀ほどが経ち、友信は実母を探し出し、近くに住まわせて親孝行なるものをしてみたいと思い立ったのです。そして崋山に実母探索を命じたのです。
ちょうど友信の側室・お磯の方との間に、*太郎しんたろうという長男が生まれたので、それが契機になったのではないかと芳賀先生は推定されています。当時崋山が、三宅家の家譜を編纂するよう藩主から命じられていたので、それとの関係を疑う説もあるようです。なお、*は「個」から「古」を取っちゃったような珍しい字で、「信」の古字だそうです。
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