『崋山先生略伝』は崋山の伝記を調べるとき、もっとも重要な資料の一つですが、友信の師・崋山に対する尊敬の念に触れて目頭があつくなります。今回改めて『崋山全集』(崋山叢書出版会 1941年)を書架から引っ張り出し、付録として収められる『崋山先生略伝』を読みましたが、一点の曇りなき師弟関係にむしろ羨望を覚えたのでした。
先の11代康友のあと、康友の子の康和が12代、その弟の康明が13代を受け継ぎますが、文政10年(1827)7月、康明が弱冠28歳で急になくなってしまいます。病のためだったそうです。
この狩場明神に導かれた弘法大師が、紀伊国境を流れる吉野川のあたりにたどり着いたとき出現したのが丹生明神です。丹生明神はその山域の地主神で、大師に高野の地を示して差し出したと弘法大師伝に書かれているそうです。 丹生明神はイザナギとイザナミの娘ともされる女神ですが、本図では十二...
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