確かに寛政2年(1790)の御触書では、一枚絵に華美を尽くし潤色を加えることのなきよう指導していますが、普通の錦絵を禁じるとか、あるいは色板の数を減らせ、彩度を落とせというような条文はありません。
しかしその後僕は、松原説を認めた上でなお、浮世絵師の側に、あるいは版元の方に、寛政の改革に対する過度の推察、チョッと前にはやった言葉でいえば、ソンタクがあった可能性まで否定することはできないんじゃないかと思うようになりました。あるいは浮世絵師や版元が時々ポーズとして示す、恭順の意といってもよいでしょう。だからこそ、寛政の改革が終息し、あの化政文化の時代がやってきたとき、もう紅嫌いなんかやる必要はなくなってしまったのです。
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