そのときもアップしたように、結句の二喬というのは呉の喬玄が授かった二人の娘で、ともに絶世の美人であったそうです。ですから、もしも魏の曹操(武帝)が呉の周瑜や喬玄を打ちやぶっていたら、その美人姉妹は曹操の愛妾にされていただろう――というわけです。
実際は曹操が周瑜に大敗を喫してしまったので、のちに姉(大喬)は孫権の兄・孫策に嫁し、妹(小喬)は周瑜と結ばれたそうです。そこで愛妾を現代っぽく「愛人」にしながら戯訳を考えていたら、起承転結結みたいになっちゃいました(笑)
一方、出光美術館も中国・明時代を中心に、皇帝・宮廷用に焼かれた官窯作品や江戸時代に海外へ輸出された陶磁器を有しており、中にはトプカプ宮殿博物館の作品の類品も知られています。 日本とトルコ共和国が外交関係を樹立して 100 周年を迎えた本年、両国の友好を記念し、トプカプ宮...
0 件のコメント:
コメントを投稿