そのときもアップしたように、結句の二喬というのは呉の喬玄が授かった二人の娘で、ともに絶世の美人であったそうです。ですから、もしも魏の曹操(武帝)が呉の周瑜や喬玄を打ちやぶっていたら、その美人姉妹は曹操の愛妾にされていただろう――というわけです。
実際は曹操が周瑜に大敗を喫してしまったので、のちに姉(大喬)は孫権の兄・孫策に嫁し、妹(小喬)は周瑜と結ばれたそうです。そこで愛妾を現代っぽく「愛人」にしながら戯訳を考えていたら、起承転結結みたいになっちゃいました(笑)
先日、 鏑木清方記念美術館の「あの人に会える! 清方の代表作<築地明石町>三部作」展で井手誠之輔 さん にお会いしたことをアップしました。その井手さんが、この「扇影衣香」展カタログに、「総論 絵から見た鎌倉の美術と東アジア世界――人と仏――」という巻頭論文を寄稿しています。 ...
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