「快」が主観的であることと、「美」はどの程度の差があるものでしょうか。むしろ「美」も「快」と同じく主観的であると言い切ってしまった方がよいのではないでしょうか。
ヤジ「そんなことを言い出したら、人文科学と称して美術史なんかやってるオマエが墓穴を掘ることになるんだぞ!!」
それはともかく、小山先生は奈良三彩のことを正倉院三彩と呼んでいらっしゃいますが、ここにも小山美学が映っているように思われます。最後に先生の文章から、現代の仮名遣いに改めつつ一節を引いておきましょう。
サントリー美術館「NEGORO 根来 赤と黒のうるし」< 2026 年 1 月 12 日まで> 私たちは根来塗の単純明快なるフォルムを愛しいとおしんできました。朱漆と黒漆のハーモニーに魅了されてきました。風化と手擦れが視覚化する時間の流れに深い感銘を覚えてきました。このような...
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