まず初めに僕は、大徳寺瑞峯院旧蔵の伝土佐光信筆「堅田図屏風」を取り上げました。瑞峯院は豊後のキリシタン大名・大友宗麟が、帰依していた大満国師・徹岫宗九を開山に迎え、みずからの菩提寺として創建したと伝えられています。
しかし京都とも豊後とも関係のない近江の堅田がどうして主題に選ばれたのか、謎に包まれています。僕は大友宗麟→大友皇子→近江大津の宮→堅田という連想から選ばれたのではないかと空想しているのですが……。
大友皇子は、壬申の乱に敗者となり命を断った悲劇の皇子です。大友宗麟は、みずからと同じ名前を持つ大友皇子にあるシンパシーを抱いていたのではないでしょうか。なぜなら僕も大友皇子にシンパシーを抱いているからです。そもそも日本人は敗者が大好きなんです。もっとも僕は、東大時代、大友皇子に打ち勝った大海人皇子[おおあまのみこ]と揶揄されていました。学生に優しすぎる「大甘」だったからです( ´艸`)
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