2019年9月1日日曜日

諸橋轍次博士3


 
先生はご自身の博士論文「儒学の目的と宋儒の活動」をまとめられるとともに、先生を慕うたくさんのお弟子さんからも協力を得て、1943年、ついに第1巻の出版へこぎつけました。これは僕が生まれた年です。ヤジ「そんなことはどうでもいい!!

しかし1945年、東京大空襲のため大修館が罹災、組み上がっていた印刷用の鉛版および資料がすべて烏有に帰してしまいました。並みの人間なら、ここで諦めたことでしょう。しかし先生は、並みの人間じゃ~なかったのです。完成していた巻と、疎開させていてために難を逃れた校正刷りをもとに、再チャレンジを試みたのです。

あのカタストロフィを経験した直後、みな食うや食わずの時代です。ついに先生は右目を失明、左目もかすかに明暗が分かるという危機に直面してしまいました。1955年、先生は『大漢和辞典』を完成させるため、危険を冒して順天堂病院で開眼手術を受け、左目だけは明かりを取り戻しました。

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