2018年10月18日木曜日

静嘉堂文庫美術館「川喜田半泥子私論」2


ところが縁は不思議なもので、14代久太夫の孫にあたる半泥子と、弥之助の子供である小弥太は、明治40年(1907)明治生命の株主総会ではじめて顔を合わせることになります。それ以来、両者は親しく交流するようになったようです。それを示す「半泥子日記」昭和20年(1945528日の条を紹介してみましょう。

五月廿八日 快晴 岩崎小弥太男来遊之為、朝より皆掛りて掃除す。正午来着。老松下に社員等廿二名と弁当されて後、田舎家で宮氏手前にて茶、余一人相伴。床三藐院天神画賛、花京鹿子小さし、いつもの天平水ツギ、古銅茶器桃山時代、桐蒔絵なつめ、茶杓半泥子、茶盌雨月井戸わきか、かへ井戸大ぶり、薬かん錫、菓子わらび餅。後古事記庵を見て笑わる。〇所望により余の茶盌井戸一つ呈す。乾山考は約束す。後より一時半過出発、津に向はる。三時に田舎家にて更に余等茶よばれる。

0 件のコメント:

コメントを投稿

根津美術館「唐絵」5

とくに応永年間、熱狂的 に愛好されたので、応永詩画軸 などと呼ばれることもあります。 詩画軸のことを勉強するときには、必ず『禅林画賛   中世水墨画を読む』 ( 毎日新聞社 ) という本を手元に置かなければなりません。そして監修者である島田修二郎先生の論文「室町時代の詩画軸につい...