僕は井上義巳氏の『広瀬淡窓』(人物叢書)と、頂戴した尚美さん編の『広瀬資料館図録』などによって、その思想と意義を知るのみです。井上氏によると、淡窓における「敬天」は、朱子学における「天即理」説がもたらす「天」の法則化、固定化を排して、人間の内面=「心」の問題において、その拠り所あるいは道徳的修身論を提示したところに意義があるそうです。
淡窓は、禁酒といった卑近な比喩を引いてこれを説明しているのですが、僕にはこの方がずっとよく理解できました(笑)。それを僕的現代語に直してみると……。
自分の心に誓いをたてて酒を止めようとするのは、唯心論者が自分の心に誓いを立てて身を律しようとするのに似ている。一方、神罰を畏れて酒を止めようとするのは、天を敬う者が天の威力をもって身を律しようとするのと似ている。したがって私は、その天を敬う気持ちこそ、もっとも重要なことだと考えているのである。
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