良寛が名主見習い役の実務に馴染めず、備中玉島(現岡山県倉敷市)の円通寺に入り、国仙禅師のもとで修行したことを思い出して詠んだ五言詩「憶在円通時」です。もちろん、この『良寛遺墨集』にも登載されています。しかも劈頭を飾る第一図です!!
ところで岡田米山人は、イソウロウをさせてもらっていた安積家で、米つきをやっていましたが、やはり最初米つきをしていたという六祖慧能[ろくそえのう]に、みずからを重ね合わせて慰め、また精神を高揚させていたにちがいありません。慧能は唐時代の僧、禅宗の大成者として知られています。
しかしこれは単なる僕の思いつきだったので、傍証として持ち出したのが、良寛の「憶在円通時」でした。僕にとって研究上も忘れることができない和尚さんなんです。その五言詩を、欠落部分も補った和歌風戯訳で……
思い出す 円通禅寺にいた時に 自分の孤独をよく嘆いてた
龐居士[ほうこじ]を柴[しば]運ぶとき思い出し 米を搗[つ]くときゃ六祖慧能を
先生の部屋に入[い]るときゃいち早く 朝の座禅も誰より早く
その寺を辞して帰郷しそれ以来 無駄に過ごした三十年ほど
山海が備中・越後を分断し 師の安否さえ聞くところなし
学恩を思えば涙 流水の ごとくにあふれ この詩を作る
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