2017年5月30日火曜日

両界曼荼羅私論補遺4




しかしもともと中国では、金剛界曼荼羅を東側に東の方を向けて、胎蔵界曼荼羅を西側に西の方を向けて掛けるのが基本であったのではないでしょうか。こうすると、両界曼荼羅の方位と陰陽の方角が正しく一致するからです。

これが日本に入ってきて、いくつかのバリエーションが生まれたのは、方角方位をあまり厳密に考えなかったためか、陰陽の観念が薄かったからに違いありません。すでに述べたとおりです。改めて中国の場合や日本の例をさらに調べることをお約束して、あまりに長くなった曼荼羅私論を一応閉じることにしましょう。
 

0 件のコメント:

コメントを投稿

山種美術館「桜さくらSAKURA2025」7

今回は奥村土牛の傑作「醍醐」がポスターのメインイメージに選ばれ、目玉にもなっているので、とくに土牛芸術に力を入れてしゃべりました。もちろん大好きな画家でもあるからです。 遅咲きの画家といわれる土牛は、一歩一歩着実に独自の土牛様式を創り上げていきました。人の真似できない真なる創造的...